2011年1月/第84回 岩浪洋三の強さ

   岩浪洋三さんはジャズ界でいちばん偉い人だが、岩浪さんの凄いのは絶対に威張ったり自慢したりしないことだ。自慢など聞いたことがない。

 人間は、特に男は60才を過ぎたら自慢したくて仕方がない生き物に生まれ変わるのである。なぜなら未来は少なく過去だけは豊富にあり、その中で特に大きく記憶に残っているのが栄光の時代だからである。

 我々には努力しなければいけないことがたくさんある。その中でも特に大事なのは、自慢しないことなのだがこの抑制がむずかしい。出すまいと思っても酒などを飲むとつい気持ちよくふっと出てしまうのが自慢なのだ。自分は気付かず他人が気付くのが自慢なのだから始末が悪い。

 ちょっと講釈が長くなったが要するに自慢とは無縁の人が岩浪洋三さんということを言いたかった。

 そういう岩浪さんだが、たまにふと自慢めいたことを口にすることがある。

「いやあ、昨夜はライヴハウスを3軒はしごしたよ。六本木へ行ってそのあと目黒へ行って、最後は吉祥寺でしめたんだ。酒、しこたま飲んでね。きつかったけど楽しかったよ。」

「北海道へ行ってね。向こうの連中と一気飲みをやったんだ。雰囲気出ちゃってスキャット歌って、翌日朝一番の飛行機で東京に戻ってその足でPCMジャズ喫茶出演なんてちょろいもんだよ。」

 これ、自慢というより、言ってみれば健康の押し売りである。岩浪さんの誇りは健康第一にあるのである。普通の人は健康第一なら節制するだろう。しかし岩浪さんは健康を維持、そして倍増するために頑張って無理を重ねてしまったのである。

 その結果が入院となった。

 少し前に練馬にある大学付属病院に入院中の岩浪さんをお訪ねした。岩浪さんは何をしていたとお思いだろうか。

 原稿を書いていたのである。

 こういってはなんだが原稿書きというのは健常者にとっても大変にきつい作業である。それを平気な顔をして書いておられたから、これは当然元気に決まっている。同行の太田ディレクターと顔を見合わせ、これはひとまず安心だわい、と。

 ネマキ姿の岩浪さんは初めてだが、ネマキを着ていてもやっぱり岩浪さんは威厳を失わない。凄いことだと思った。少し面やつれしていた。それは仕方がないだろう。岩浪さんの普段の食事は肉である。三食肉だらけといってもいいほどの肉食獣、いや肉好きである。それが一挙にカロリーゼロに近い病院食。ちなみに病院食は治療食などと称して、費用をけちり病気の直りを遅くしている傾向がなきにしもあらずだ。

「今ね、肺に水がたまってドレーンに抜いているんだ。」

 岩浪さんの脇腹のところからビニールの細い管が出ている。時々黄色い液体がツツーとしたたり落ちる。

「ひょっとしたらリンパのガンかもしれないって医者は言うんだけどね、だけどこんだけの歳だろう。進行が遅々としてはかどらないんだよ。そこがめっけものだよね。」

 そんな深刻な話をしながら岩浪さんは口許にエミを浮かべている。

「そうですよ岩浪さん、世の中には45才でガンにかかって今だに生き延びてのさばっているやつがいますからね。私ですけど。」

 そういえば私、ガンを宣告された時、ジャズなど聴く気になれなかった。うずくまってひたすら我が身の不幸を嘆いていた。

 しかし岩浪さんは変わらず耳傾けているというのである。CDを病院に送らせているらしい。精神力の弱い私でさえガンから生還したのだから、精神力の強い岩浪さんが勝たないわけはないのだ。

 さらにこの一発。ポリー・ギボンズの強力肉食的発声ボーカル『マイ・フェバリット・シングス』を岩浪さんに贈りたいと思う。まだガンと決まったわけではないが、この一曲を毎朝起きがけに聴いたら病気などたちまちどこかへすっ飛んでしまう。

 

寺島靖国(てらしまやすくに) 
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ

コメントは停止中です。