2011年4月/第87回 ジョニ・ジェイムスにキスした(された?)男

 

 思い出せば約20年前、熱烈な恋をした。

 片時もそいつのことを忘れたことはなく、歌をうたうやつだったので、夜中になるとよく一緒にデュエットした。

 一番頻繁に歌ったのはホーギー・カーマイケルの作った『The Nearness Of You』で、すっかり歌詞を憶えてしまい、今歌ってみろといわれれば「ほいきた!」とリクエストに応じることが出来る。

 そういえば先日の新聞で、女優の山口智子さんがインタビューを受けていた。「一番好きなことは何ですか?」と訊かれて、「好きな人のそばにいること」と答えていた。あっ、『The Nearness Of You』だと即座に笑ってしまった。昔から知的なムードを漂わせた頭のいい女性で、彼女を恋人にしたかったが他の男に持っていかれた。

 山口智子の話しではなかった。

 熱烈な恋の相手というのはジョニ・ジェイムスである。

 シュテファン・ツヴァイクの書いた短編集に『アモク』というのがあるが、これは熱帯性気候の地域に発生する特殊な熱病で、これにかかると24時間密林の中を走り続け、2日目にばったり倒れて死に至るという恐ろしい病気だ。私のジョニ・ジェイムスに対する愛はまさに『アモク直前』、よくぞ倒れて死ななかったものだ。

 1950年代にアメリカに出現した美人歌手で、最初ダンサーになるつもりだったが、運悪く(私には運良くだが)足をくじいて歌手に転向した。そして幸運が訪れ“アメリカの恋人”といわれるようになった。MGMからレコードを40枚出しているが、私はそのすべてを買い集めた。コンプリート・コレクションは後にも先にもジョニ・ジェイムス一人である。

 どこにそんなに惚れたのかって?あんたねぇ、野暮な質問はしっこなしにしようよ。惚れたから惚れたんで、どこになどという解析はまったく不毛なのだ。

 しいていえば、声。彼女の声を聞けば、他のどんなボーカリストの声も蛙声にしか聞こえない。

 それから目。彼女の目を見れば、他の女の目はすべてトカゲ目だ。

 私は彼女の声を聴いてボーカルに開眼した。それまではボーカルは女子供のなぐさみ物と思っていた。ボーカルを聴く奴の顔を恥ずかしくって見られなかった。昔から今に至るまで原稿を書くことほど嫌いなことはないが、彼女のことだったら幾らでも書ける。惚れた当時、書きまくった。それらを見て岩浪洋三さんが言ったものである。

 「彼女のことなんかとっくに知っていて僕なんかよく聴いているよ。」

 なら書けばいいのに書かない。私ほど情熱がなかったのと、当時は白人女性歌手など毛ほどの価値もなく、もっぱらエラ・サラ・カーメン全盛時代。

 ジョニ・ジェイムスのことなどを吹聴すれば、ボーカルのわからないエロじじい扱いされるのが関の山だった。私はそんなの平気だった。悪態つきたい奴はつけ。惚れてしまったらこっちの勝ちよ。

 そういうジョニ・ジェイムスにキスした男がいるのである。アメリカ人ならまだしも日本人である。しかも私の知り合いだ。

 ディスク・ユニオンの菊田有一氏がその極悪犯だ。

 八つ裂きにしてもあき足りないその菊田有一が、今回PCMジャズ喫茶に出演した(3月5日放送)。当然その話題が出たが、マイクの前なので公式的な発言しかしない。DIWとの契約でシカゴまで彼女に会いにいき、帰り際に握手をして別れたという。

 何が握手だ!

 番組の録音の帰り、四谷に出て、酒をのみ、自由になると、どうだ。

 「帰り際に彼女は自分にキスしてきた」と言うのである。

 それほどの男には見えないがねぇ。ジョニ・ジェイムスもカンが狂ったのだろう。長い女の一生、そういう日もあるということだろう。後で彼女、一生の不覚と思ったに違いない。「私としたことがどうしたことだろう。わけのわからない東洋人の男と、何ということをしでかしてしまったのだろう・・」洗面所に行き、オキシドールを探し、脱脂綿にひたして唇をなんどもぬぐった。しかし何度ぬぐっても肉体的なけがれはともかく、精神的なけがれは落ちない。よって1980年某月某日は彼女にとって最悪な人生の一日になったはずである。

 ああ、少しすっきりした。

(ディレクター記)
菊田氏は「あのキスはあくまで交通事故みたいなもの」と録音後の飲み会でしきりに弁解していましたが、その現場の様子を実にリアルに描写したのが、寺島氏の怒りの炎にさらなる油を注いだようです。写真のツー・ショットは事前のものか事後のものかは不明です。

 

寺島靖国(てらしまやすくに) 
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ

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