音楽コラム「Classicのススメ」


2005年04月①/第07回 プレヴィンを指揮者にしたオーケストラ

 

 指揮者アンドレ・プレヴィンとロンドンとの関係は、レコードで始まった。

 1960年代の初めまで、プレヴィンはハリウッドのミュージカル映画や、ジャズ・ピアニストとしての活動をメインにしていた。クラシックの分野にも本格的に参入したいと思っていたけれど、アメリカのクラシック界というのは、こういう「闖入者」に対して意外なほどに頭が固い。なまじプレヴィンの名前が売れているだけに、活動の場は限られていた。

 それにアメリカのオーケストラは、ドルが強い(まだ1ドルが360円に固定されていた時代だ)せいもあって、レコーディングに起用するとやたらに金がかかる。そこでマネージャーとレコード会社が考えだしたのが、イギリスのオーケストラ(ドルが強いから割安で雇える)を使ってプレヴィンのレコードをつくり、それを「既成事実」にして、指揮者プレヴィンを認めさせてしまおう、という戦法だった。

 というわけでプレヴィンは1965年にロンドン交響楽団(LSO)を指揮して、レコードを何枚か録音した。ところが思わぬ副産物があった。LSO自体がプレヴィンの力量と魅力にほれ込んでしまい、なんと首席指揮者に招いたのである。録音から3年後の1968年のことで、まさに「瓢箪から駒」が出て、プレヴィンは長い歴史を誇るオーケストラのシェフになったのだ。

 ちょうど不倫騒動(妻がいたのに女優のミア・ファローと懇ろになった)でアメリカにいづらくなったプレヴィンはイギリスに移住、LSOとの活動に全力を傾注することになる。 そして聴衆から熱狂的な人気を獲得、1979年までその地位に留まり、以後もLSOから桂冠指揮者(名誉指揮者)の称号を与えられて、密接な関係を保っている。LSOは、プレヴィンを「クラシックの指揮者」にしたオーケストラなのである。

 

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
山崎浩太郎のはんぶるオンライン