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音楽コラム「Classicのススメ」


2005年08月①/第16回 生と死の束の間に

 

 ベンジャミン・ブリテンという人の性格には、多分にアマノジャクなところがあった。

 若くしてイギリスを代表する作曲家として認められた彼には、何か国家的な祝い事があるたびに、それを記念するような作品を作曲してほしいという依頼がきた。

 それに対してブリテンは、慶事に冷水を浴びせるような作品を書き上げた。たとえば大日本帝国の建国2600年記念にはシンフォニア・ダ・レクイエム、すなわち鎮魂交響曲を書いて「祝賀にレクイエムとは何事か」と演奏を拒否された。また女王エリザベス2世が戴冠した1953年には、年老いたエリザベス1世の心の不毛と荒廃を描いた歌劇《グローリアーナ》を記念公演用に作曲し、客席の着飾った名士貴顕たちを当惑させた。

 だから、1940年にドイツ軍の爆撃で破壊されたコヴェントリー大聖堂が22年後に再建された際、その再建記念の音楽をブリテンが引き受けたことには、多くの人が不安に感じた。

 彼らの期待を裏切らず(?)、ブリテンが書いたのはまたしてもレクイエム(祝賀の機会なのに)であり、しかもラテン語の典礼文に、第1次世界大戦で出征中に戦死した詩人の詩を挿入し、さらに初演時の歌手には破壊の当事国であるドイツのバリトンが含められていたから、初演の前から激しい非難の声がブリテンに向けられることになった。

 だが、そうして誕生した音楽は戦争のもたらす惨禍と人間性の破壊を訴える傑作として、単なる機会音楽の域を超えた高い評価を受け、その後も演奏され続けることになった。

有限の人間にとって、生と死は表裏一体。死あるがゆえに生は輝き、生あるがゆえに死は重い。慶事から弔事への束の間を、人は生きる。生にあって死を忘れず、死にあって生を、慶事には弔事を。ゆえに今こそ、戦争レクイエム。

 

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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