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音楽コラム「Classicのススメ」


2010年04月/第79回 スイトナーをしのんで

 

 今年の1月8日、指揮者のオトマール・スイトナーが、ベルリンで87年の生涯を終えた。
 1970年代と80年代には、名誉指揮者をつとめるNHK交響楽団への客演、音楽監督として君臨したベルリン国立歌劇場のオペラ公演や、そのオーケストラであるシュターツカペレ・ベルリンの演奏会で、ほとんど毎年のように来日して、日本でもおなじみの指揮者だった。海外の一流歌劇場のオペラ公演を日本でこれだけ数多く指揮した指揮者は、ほかには少ないだろう。
 1989年に「ベルリンの壁」が崩壊し、東ドイツが西ドイツに吸収される形で統一が実現した頃から、健康を崩してベルリン国立歌劇場音楽監督の座をバレンボイムに譲り、長い隠退生活に入った。それから約20年目にしての訃報である。
 コンヴィチュニーが1962年に亡くなった以後は、東ドイツの音楽界を代表する存在と位置づけられたが、生まれはインスブルック、学んだのはザルツブルクと、もとはオーストリアの指揮者であった。細部に拘泥せず、大らかで自然な感興を活かした音楽づくりは、ドイツ語圏でも南方の出身であったことが関係しているのかも知れない。
 モーツァルトからR・シュトラウスまで、ドイツ音楽の王道を幅広く演奏したが、今回の特集では名盤として名高いシュターツカペレ・ドレスデンとのモーツァルトの交響曲やオペラ、シュターツカペレ・ベルリンとの、ライヴならではの迫力をもつベートーヴェンやブルックナー、ブラームスなどの交響曲、そして旧東独の名歌手たちとのオペラなど、その演奏にあらためて親しんでいただきたい。

 

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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