音楽コラム「Classicのススメ」


2010年11月/第86回 世界のオザワ

小澤征爾が、1973年からアメリカのボストン交響楽団の音楽監督に就任するニュースが流れたときの衝撃と驚きは、現在では想像もつかないほどに、大きいものだったという。
 クラシックの演奏では、まだまだ発展途上国と思っていた自分たちの国から、アメリカのメジャー・オーケストラの音楽監督になる人物が出た。カナダのトロント、アメリカのサンフランシスコ、そしてボストンと、精妙華麗な指揮法を武器に、着実にステップアップしてきたオザワの活躍は、北米に進出して地歩を築きつつある自動車や電機メーカーなどの日本企業の姿に重なるものがあった。
 その好評によって、ボストンのポストに30年にわたって留まる一方、ヨーロッパでは特にパリで高い人気を獲得し、ベルリン・フィルとも緊密な関係を保って、一時は「帝王」カラヤンから後継者候補に挙げられたという噂が流れるほどだった。1986年には、病気のカラヤンに代って、ベルリン・フィルの来日公演の指揮も担当している。
 一方、ウィーン・フィルの定期演奏会にも継続的に招かれるようになり、その演奏はライヴ録音されて広く聴かれた。そして2002年、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任。日本人として前人未到の地位を、ついに手にすることになった。その直前のウィーン・フィルとのニューイヤー・コンサートのライヴ盤が、日本で超ベストセラーになったのは、忘れがたい「事件」だった。
 今月の「ウィークエンド・スペシャル」では3回にわたって、その世界的な活躍を、録音を通じてふりかえりたいと思う。

 

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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