2005年10月②/第21回 ジャズのミュージシャンはエロチックたれ
諸君、元気か。
私は元気だ。多少、カラ元気だが、ジャズを聴いて弱っていられるか。ひからびていられるか。ジャズは私にとって水である。枯れ木にくれてやる水。
さて、マクラはこのくらいにして、今日はラテンの話をしよう。ラテン音楽。ラテンとジャズの話をしよう。ラテン音楽。ラテンとジャズの関係。
ラテンというと諸君はボサノバを思い浮かべるだろう。
あんなのはラテンではない。ラテンという庭に生えた隠花植物だ。
あんなジメジメしたラテンはあるか。あんなボソボソした冷飯みたいなラテンはあるか。あんな去勢された男のようなラテンはあるか。
ラテンというのはもっとエロチックなものだ。官能的なものだ。
男が女を見、女が男を見るような目を持ったのがラテン音楽なのよ。
サビア・クガード楽団、エドモンド・ロス楽団などがそういうエロチックな集団だった。
曲でいうと「ブラジル」「ベサメ・ムーチョ」「シボネー」「マイ・ショール」「オイエ・ネグラ」「タブー」「マラゲーニア」「マリア・エレーナ」「エル・クンバンチェロ」「カプリ島」。
などなど挙げていったらスモールなこのページなどたちまちのうちに埋まってしまう。
キューバや南米諸国で生まれたこうした何百曲という曲がアメリカに渡って、アメリカをエロチックな国にしたのだ。アーティ・ショーという有名なバンド・リーダーはラテン歌曲をレパートリーに取り入れてから奥さんを次々に替えていった。
「裸足の伯爵夫人」の大美人女優、エバ・ガードナーはその一人。全てラテン音楽のなせる技なのだ。
ボサノバでこうはゆくまい。
さて、エロチックな気分になったのはダンス・バンドのリーダーたちだけではなかった。
ジャズのミュージシャンたちにも波及したのだ。
有名なところを一つ挙げてみるとアルトのアート・ペッパーが「ベサメ・ムーチョ」を吹いた。あんなエロチックなペッパーは聴いたことがない。
ペッパーはウエスト・コースト・ジャズというジャンルにおけるほとんど唯一のエロチック奏者だった。
そこで今日はラテンに関連のあるジャズ・ミュージシャンのcdを紹介しよう。
ビクター・フェルドマン。イギリス出身ビブラフォン奏者。ピアノもよくする人だ。
しかしこの人、水気のない老人のように演奏に色気がないんだな。
そういえば彼がここで率いるウエスト・コースト・ジャズの主だったミュージシャンたち。
エロチックの要素に欠けるのだ。
現代のバークレー帰りと言われる若手の、一部のミュージシャンのように楽理が先走った。
女をかどわかすのが第一の仕事。音楽をやるのが第二の仕事と言われるミュージシャンが研究室の学者みたいになった。
今だに一部に強い支持者を持つウエスト・コースト・ジャズの弱点は楽理優先、ノー・エモーションというよりその結果生じたノン・エロチックだったのだ。
しかしこのCD、相当エロチックなのよ。
編曲だ、アンサンブルだ、オリジナル曲だ、そんなことばかりにかまけて日常を送っている彼らがラテン・ジャズをやることになった。
それだけで彼らは気分が変わった。
北の男が南の男に変身するのだ。
理性の男が痴性の男に変貌するのだ。
変化に追い打ちをかけたのは現地の打楽器奏者たちによるパーカションである。
モンゴ・サンタマリアやアルマンド・ペラーサといった人たち。
本格的なのだ。
ちなみにジャズの楽器の中で最も理性的なのはピアノ、最も痴性的なのはパーカッションとの説がある。以前、大西順子さんが言っていた。
選曲も本格的。
「ポインシアーナ」「スペインの姫君」「キューバン・ラブ・ソング」「ザ・ブリーズ・アンド・アイ」などラテン曲の王様が勢揃い。
エロチックにならざるを得ない。お聴きの通りである。
ジャズのミュージシャンはエロチックたれ。
エロチックになるにはラテンを演るに限る。
これが本日の教訓である。
寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ