音楽コラム「Jazzのススメ」


2007年04月/第39回 冷血女ホリー・コールに何が起こったか!?

やあ、諸君、元気かね。

しかしこの文章の出だし、いかにも軽い。私はわざとやっている。
最初に軽い一行をもってこないと肩に力が入って結局、悲惨な目を見ることが多いのである。
私の場合。肩に力を入れない。
これが私の至上命令になっている。
文章てのは、売文だろう。人を喜ばせるものである。笑わせてなんぼのものであろう。私なんか人に笑われたら嬉しい。笑っているのを見てこっちも笑っているわけだから。

さて、ホリー・コール。
しばらく前にテレビに出ていた。インタビューの番組で、ずいぶん肩の力の入った物言いをしていた。いわく、『スタンダードは昔の人の様に歌うものではない。新しい歌手は新しい歌い方を見つけて歌わなくては新しい歌手の意味がない。現代には現代向きの歌の新しい解釈がある。』大体がそんな主旨だった。

それにしてもホリー・コール。見るからに冷たい女である。黒い制服を着てイギリスの大邸宅に勤めるマユひとつ動かさない女執事。そんなよくないイメージがたちまち想起されてくる。そういう冷たい女が人に規則正しいことを言うのだからたまったものではない。

私はすぐさま、この女が嫌になった。あんたはボーカル学者か。そんなことは一部のややこしい評論家、好事家にまかせておけばいいんだ。歌手は『歌のしもべ』だろう。

ホリー・コールは私の脳裏から消えた。

と、そこへ今回の新譜である。私はどんなに興味のない盤でもとりあえず曲面だけは眺める。すると、けっこう大変だ。大好きな曲のオン・パレードである。

まず、『シャレード』。私はこの曲に目がない。たとえサッチモだろうがビリー・ホリデイだろうがこの曲なら聴いてしまう。「イッツ・オールライト・ウィズ・ミー」「ユー・アー・マイ・スリル」「シェルブールの雨傘」。このように良曲の目白押しで来たら耳をかさないわけにはゆかない。私は聞く耳を持ったのである。

ホリー・コール。あんたはいつから冷たい女からあったかい女に変わったのか。そりゃ、確かに声帯は柔らかくふくよかというわけにはゆかない。幾分摩耗もしていてところどころに生活臭がにじんでいる。

しかし以前のように肩に力が入っていない。スタンダードを新しく歌ってやろう、聴かせてやろう。新機軸のジャンヌ・ダルクになってやろう。そういう力のこもった嫌みが感じられない。なにかとても塩梅のいい歌の境地にいるわけである。自然な歌い方にほんの少し工夫をこらしている。以前のような文化的な大幅な工夫がないから私はよっしゃと思ったのである。

一曲目の「ザ・ハウス・イズ・ホーンテッド」。工夫をつければいくらでもつけられそうな歌である。嫌な予感がしたがしかし、これがどうだ。まったくこの人らしくなく、人臭くて、けだるく、土の香りがする。継続的にずっとけだるい歌手できたんじゃないのか。ふとそんなあり得ないことを考えた。なにか転機になるようなことがあったとしか思えないのである。それとも以前の誇大表現発言は若気の至りだったのか。反省したのか。

まあ、いいんだ、いいんだ。俺なんかしょっちゅう反省の連続の人生よ。カメレオン呼ばわりされる俺さまだ。いちばんよくないのは間違っていると分かっても自説にこだわり、しがみつくことなのだ。

とまあエラそうなことをほざいたがしかし、ホリー・コール。

要するに人を楽しませる、エンターテインメントの世界に突入したのである。

ボーカルはこうでなくちゃあ。

寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ