音楽コラム「Jazzのススメ」


2005年07月①/第13回 飽食の時代に聴く“無欲恬淡"のジャズ

ミュージシャンというのはまことに羨ましい。
一体彼らは一晩に何回拍手をもらうのだろう。
私は、自分の店がライブハウスだから分かるのだが、まず一晩30回は下るまい。

こんな人間はとてもいない。

我々凡人がひな壇で拍手の恩恵にあずかるのはせいぜい生涯に何回かというところだろう。
結婚式とかそういう時。
好きなことをして、晴れがましい毎日を送れるという意味でミュージシャンほど幸せな人種はいないはずだ。

しかし幸、不幸が交錯するのもまたミュージシャンである。
実入りである、実入り。幸せな拍手と引き換えに彼らの実入りの何と僅かなことよ。

私の店の最悪の例でいうとミュージシャン4人にお客が2人、結局一人一晩千円にしかならない日があった。駐車場代も出ない。
一部の超有名人を除いて現在日本のライブハウスで生活するジャズ・ミュージシャンの収入はこんな悲惨な状況だ。 新進ジャズ・ピアニスト、ハクエイ・キムもその例に漏れない。
率直なところを訊いてみた。

「そうですね、一日平均でいうと4,000円ぐらいのところではないでしょうか。それでは生活できないから印刷工場でアルバイトしたり、ホスト・クラブのハウス・ピアニストをやったり。」

そのクラブへ給料をもらいに行った。するといきなり閉店していた。前月分がそっくりパーになった。
しかし、ハクエイ青年はめげないのである。意気ますます盛んなりである。
ようし、やってやるぞ。がんばって日本一のジャズ・ピアニストになってやるぞ。
そういう強い気持ちを起こさせたまさに「事件」と言うにふさわしい出来事がつい最近あったのだ。薄幸な青年に降ってわいたような事件。
それが本日ご紹介のCDの発売である。

DIWから夢にまで見た初リーダー・アルバムがリリースされたのだ。30歳。
オーストラリアへ英語の勉強に行った。ロックのバンドでピアノを弾いていた。現地のライブハウスで観たジャズ・ピアノに惹かれた。
ジャズ・ピアニストになりたい。オーストラリアの有名ピアニスト、マイク・ノックの門を叩いた。
「弾いてごらん。」
一曲終わって振り向くとマイク・ノックがうずくまっていた。
「勘弁してくれ。それがジャズかい。出直していらっしゃい。」
一年間、がむしゃらにジャズを聴いた。バド・パウエル、ビル・エバンス、キース・ジャレット。
晴れてマイク・ノックの門下生になることが出来た。
3年の年月が流れる。
「テープをDIWに送ってみたら。」 ノック自ら推薦してくれた。
ハクエイ青年にとってレコード会社といえばDIWしかなかった。
いやまあ、何と言う潔い音楽なのだ。
武士は食わねど高楊子といった風情の音楽とはこのことだ。
貧乏生活とはこれで、さらばだ。CDで一山当ててやろうなどというさもしい気持ちはまるで見られない。
売れても売れなくてもいい。オレの音楽をわかるヤツにだけわかってもらえばいい。これがオレのやりたかった音楽だ。
さあ、聴いてくれ。駄目だったら放り投げてくれ。

これは、1950年代のハングリー時代のジャズ、と言っていい。現代の飽食時代、美食時代のジャズとは訳が違う。
飽食時代の甘いジャズに慣れた耳にはいささかごっついピアノの弾き方だ。ビル・エバンスが学者のようなピアノを弾くように、 ハクエイ青年は兵士のようにピアノを弾く。ハクエイ青年の撃ち出す鉄砲玉がもろ頬にぶち当たってくる。即死する人がいるかもしれない。

私も最初はたじろいだ。しかし慣れたいま、鉄砲玉の何と鮮烈に響くことよ。たまにはこういう致死量のジャズを聴け。

寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ