音楽コラム「Jazzのススメ」


2010年11月/第82回 生真面目な生徒

 「PCMジャズ喫茶」の担当ディレクターである太田さんがトロンボーンを始めるという話を前に書いた。

 その後、その件が立ち消えになった。よくある話である。人間は一時的な高揚、衝動で物ごとを決めたりするが、それが収まるときれいさっぱり忘れてしまうものだ。

 太田さんも、その手だなと思っていた。だから薦めた張本人である私もせっついたり強要したりはしなかった。大体人に言われて不承ぶしょうやるようなことにいい結果が生まれたためしはない。

 ところが先日、急に始めると言い出したから驚いた。率先楽器を買いに赴き、ヤマハのかなり高額な一品を手に入れたという。

 こいつは本物だなと思った。

 そうしてジャズ喫茶「メグ」で行われている『トロンボーンを楽しむ会』に入会したのである。楽しむ会は練習が終わった後の“反省会”という名目の宴会が楽しい。50~60代のおっさんたちが大部分であるから金を持っており、ビールも一本ではなく5本単位で注文する。店にとっては神さまのような人たちである。

 酔いがまわると遠慮がなくなるから、会の運営について言いたい放題が始まる。

 先生は志賀聡美さんといって、美形だがまだ30代の前半なのでおっさんたちにとっては娘のような存在であり、それでつい放言が度を超してしまうのだ。

 「あのさあ、オレ、オタマジャクシなんて読めなくていいんだよ。アローン・トゥゲザーとビューティフル・ラブの二曲さえ吹ければあとはどうでもいいんだよ。」

 という人がいる。個人タクシーの運転手で、始めて間もない人だが近頃めきめき腕を上げているおっさん中のおっさんだ。それに賛同する人が何人もいる。私もその口であり、なにしろ老い先短いのだ。

 先生は困った顔をする。彼女が卒業した芸大ではそういう教え方はなかった。

 そこで断固一説述べたのが太田さんだった。

「そういう話もわからなくはないが楽器の練習はやっぱり基本でしょう。私は譜面も憶えたい。ロングトーンをみっちりやって、音が満足に出るようになってしかる後の曲の演奏でしょう。先生、今のままの練習スタイルでお願いします。」

 先生にホッと安堵の表情が浮かぶ。さすが私が『ミスター正論』と呼んでいるだけあって立派な発言である。生徒からこのように言われて可愛く思わない先生がいるだろうか。段々オボエがめでたくなっていくような塩梅である。

 ドリス・デイの昔の歌に「ティーチャーズ・ペット」というのがあったが、そっちの世界にめざましく発展してゆきそうだ。

 そのうち、太田さんがうまくなってリチャード・ロジャースの作曲した「ピープル・ウィル・セイ・ウィー・アー・イン・ラブ」などをデュエットで演奏し始めるんじゃないか。

 邦題が「粋な噂を立てられて」。

 春が来たようであり、光る未来が見えてきて、思わず「がんばれ60の手習い!」と言いたくなった。

 番組でもとりあげたトロンボーン奏者の片岡雄三さんは、すでにそのことを実践されている方である。奥さんはベース・トロンボーン奏者の山城純子さん。このCD(片岡雄三QUARTET)のラスト・トラックでなんと微笑ましくも奥さんとデュエットで演奏を行っている。あんまり面白くなくて、この曲だけは聴きたくないのである。

(ディレクター記) 寺島さーん、妄想いいかげんにして下さいな(笑)

 

寺島靖国(てらしまやすくに) 
938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ