神楽坂「うまもんや」でいただく福井県おおい町の“醤油かつ丼”

2023.8.10 | Author: 天谷窓大
神楽坂「うまもんや」でいただく福井県おおい町の“醤油かつ丼”

全国を見回すと「卵でとじないカツ丼」を多く見かける。新潟県や栃木県で食べられている「タレカツ丼」、福井県を中心に馴染み深い「ソースカツ丼」──。共通するのは、薄く叩いたカツにタレをくぐらせるという点だ。その特徴的な見た目はひとつの大きな“家系図”を想像させるが、実はどれもルーツはバラバラ。さらに福井県では、ソースカツ丼とは異なる独自の「醤油かつ丼」というものがあるという。その味を東京で体験できる、神楽坂「若狭 醤油かつ丼と豚汁 うまもんや」を訪れた。

精肉店のまかない飯から生まれた「醤油かつ丼」

東京メトロ東西線・神楽坂駅から歩いて5分、都内屈指のパワースポットとして知られる赤城神社の裏手にある「うまもんや」。かつて駄菓子屋だった家屋を改装した料理店「カド」の2Fに店を構えていて、訪れる際は外に据え付けられた階段から直接上がる。ちょっと秘密基地っぽい入り方が楽しい。小さな玄関をくぐると、コンパクトながらも開放感のあるカウンター席が目に入る。

神楽坂「若狭 醤油かつ丼と豚汁 うまもんや」

店長を務める溝口真理(みぞぐち・まり)さんは、福井県南部・若狭(わかさ)地域にある人口約8000人の町・おおい町(ちょう)の出身。実家は地元で70年続く老舗精肉店・溝口精肉店を営んでいる。

「うまもんや」で提供する「醤油かつ丼」は、溝口家で食べられてきた“まかない飯”がルーツだ。30年前のある日、「ソースカツ丼はあるのに、“醤油かつ丼”は何故無いのか?」とふと考えた溝口さんのご両親がまかないのカツに合う醤油タレを試行錯誤した結果、とても美味しい醤油かつ丼が誕生し、実家の食卓にも上がるようになったという。「私にとって醤油かつ丼は、家族団らんの場で食べる『おうちごはん』でした」と溝口さんは語る。      

若狭醤油の“火香”と生姜が香る「醤油かつ丼」

溝口さんの飄々とした語り口に親近感を覚えつつ、お店の看板メニューである「醤油かつ丼」(税込1,100円)をいただく。豚のロース肉を薄く叩いてサクサクに揚げたカツに、特製の生姜醤油があわさり、香りだけですでにひとつのメニューのような満足感だ。

使用するのは豚のロース肉

ベースの醤油は若狭地域で唯一の醤油醸造所・千成屋(ちなちや)醤油店のものだ。古くから伝わる「大釜直火」製法によって生まれる「火香(ひが)」と呼ばれる独特の香ばしい風味を国産生姜の絞り汁が引き立て、豚肉の繊細な甘みと旨味を華やかに彩る。ひと口かじったら、もう止まらない。目の前にあったボリューム豊かなカツは、手品にでもかかったかのように一瞬で無くなってしまった。

疾風のような芳香と旨味の余韻を味わいながら、丼のご飯を頬張っていく。カツから出たジューシーな肉汁と醤油タレが絡んだその味は、噛みしめるごとに何度も食事の喜びを繰り返させてくれる。

お米は福井県産のコシヒカリを100%使用し、地元・おおい町で精米したものを直送。精米から2週間以内の新鮮なお米を使うのがポイントだという。コシヒカリというと新潟のイメージが強いが、品種として育成されたのは福井県。日本全国で愛されるしなやかな甘みは、福井の水と土から生まれたものなのだ。

醤油かつ丼と豚汁、漬物

「同じ材料でも、福井と東京では味が変わる」そのワケは?

もうひとつの看板メニューである豚汁もいただく。福井県坂井市・梅谷(うめや)味噌醸造の米味噌を使っており、白っぽい色合いが印象に残る。一口すすると、米麹ならではの透き通った甘さがスーッと口の中に広がり、パワフルなかつ丼で活気づいた口が静かに落ち着いていく。お客さんからも「やさしい味」と評判だという。

「特別なお味噌として選んだわけではないんですよ。いつも溝口家で食べているお味噌、というだけのことです」と溝口さん。当初は東京で一般的な合わせ味噌を試すも、野菜と豚の味を引き出す組み合わせはこれ以外になかったと語る。

「同じ材料を東京に持ってきて作っても、同じ味を再現できなくて。その理由を突き止めるのにとても時間がかかったのですが、とうとうこれだ、という答えにある日行き着いたんです」

店長の溝口真理さん

その秘密は、水道水の硬度にあった。

水は、含まれるミネラル分の多さ(硬度)によって「軟水」「硬水」に分けられる。硬度が低いほど、出汁の成分が溶け出しやすく、「柔らかい水=軟水」とされる。

おおい町と東京の硬度を比較すると、おおい町のほうが東京よりも軟水である。そのため、おおい町の硬度で美味しいと感じた出汁の取り方でも、東京ではアクが多く出てしまい、えぐみを感じやすくなってしまう。これはミネラル成分であるカルシウムやマグネシウムが、出汁のタンパク質と結合してアクを出す性質があることに起因する。さらに、軟水のほうが出汁が抽出されやすい性質もあり、硬度の違いひとつでまったく別物の味になる。

普段当たり前のように飲んでいる水のことを気にする機会など、めったにないだろう。しかし、その「あたりまえ」にこそ、その土地の他ならぬ特徴が現れているのだ。

 

北は北陸、南は近畿?「家庭料理」から見える、福井の特殊な文化構造

さらに基本的な問いにさかのぼってみよう。そもそも「ソースカツ丼」がメジャーな福井県において、なぜ「醤油かつ丼」という独自形態が生まれたのか。その背景からは、福井県という土地が持つ特有の文化構造が見えてくる。

江戸時代、現在の福井県は「越前国(現在の福井市を中心とする北部)」と「若狭国(おおい町、敦賀市を中心とする南部)」に分かれていた。「越前地域」は北陸地方の文化が色濃いが、「若狭地域」は隣接する京都・滋賀など近畿地方の文化が濃い。つまり、同じ県でも北と南はまったく異なる「国」。いまも北部と南部では使われる方言すらもまったく異なり、ときにお互いが聞き取れないこともあるという。

「福井県おおい町・溝口さんちのごはん」からは、江戸時代にまで遡る、福井県独自の文化構造が見えてきた。こうした背景が「ソースカツ丼」の土地において独自の「醤油かつ丼」を生み出したのかもしれない。

「神楽坂の人々にとって『いつものごはん』でありたい」

壮大な話に夢中になっている横で、お店にはお客さんがひっきりなしに訪れる。その多くは、神楽坂で働く人々。会社員や店員、配達員など、その顔ぶれはさまざまだ。溝口さんはこう語る。

「神楽坂は居酒屋さんが多くて、『ご飯だけ』のお店を探すのが意外に難しいんです。『うまもんや』は、神楽坂で生活する人々にとって『いつものごはん』を食べられるお店でありたいなと。近いうちに醤油かつ丼を惣菜としても販売して、気軽に『おうちごはん』としても楽しんでもらえるようにしようと思っています」

普通のなかにこそ、最高の“特別”が隠れている。その素晴らしさを誰よりも知る溝口さんは、今日も神楽坂で「溝口さんちの醤油かつ丼」を振る舞う。

若狭 醤油かつ丼と豚汁 厳選味覚 うまもんや
東京都新宿区赤城元町1-32-2F
営業時間:昼11:30~15:00、夜17:30~21:00(20:30 OL)
定休日:水曜、第1・3・5火曜日
※日曜・祝祭日は昼営業のみ。夜営業は不定休https://www.umamonya.com/

取材・文 = 天谷窓大
編集 = 池田アユリ
撮影 = いしむらひろのぶ

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