2010年08月/第83回 マーラーの演奏史

今年はマーラー生誕150年のアニヴァーサリー。さらに来年は没後100年にあたり、記念年が2年続くことになる。
 生前のマーラーは作曲家としてよりも、指揮者としての名声の方が高かった。残念ながらその指揮ぶりをディスクにとどめることはなかったが、しかしピアノ・ロール用に自作をいくつか演奏している。緩急の変化の幅が大きく、一つのフレーズの中で俊敏軽快につけられることに特徴がある。
 このスタイルは、弟子のワルターや友人のメンゲルベルクなどに受け継がれ、戦前のSP録音などに記録されることになった。また、同じ弟子でもクレンペラーの場合はその後の新ウィーン楽派などの作曲様式、新即物主義と呼ばれる演奏法をとりいれ、厳しさと激しさを共存させるスタイルで名演を残した。
 1960年代になるとステレオ録音が普及し、マーラーへの関心もさらに高まってくる。バーンスタインやバルビローリによる、共感度の高い熱い演奏がこの時代を代表する。さらに70年代には、クーベリック、ショルティ、カラヤン、アバドなどのさまざまなスタイルが録音で残されるようになる。
 しかし、本当の意味でマーラー人気が高まったのはバブル景気の前後、80年代と90年代だ。CDというソフトもこの作曲家にぴったりだった。バーンスタイン、ベルティーニ、シノーポリ、テンシュテットの没入的な演奏が登場し、日本でもさかんに演奏された。
 そして21世紀。ヴェテランから若手まで、それぞれのアプローチで多様なマーラーが生れている。100年間の演奏史を8回にわけてふりかえる、48時間のマーラー。どうぞお楽しみに。

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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2010年07月/第82回 ウィグモア・ホール・ライヴ

 

 ロンドンにウィグモア・ホールという、素晴らしい音響の室内楽用のホールがある。
 地下鉄のボンド・ストリート駅の近く、その名もウィグモア・ストリートに面した古風なビルの中にある、座席数約600の演奏会場だ。1901年に開場したときにはベヒシュタイン・ホールと呼ばれていたが、第1次大戦中の1916年に現在の名に改称している。
 幸運にも2回の大戦での空襲でも被害をまぬがれ、開場記念演奏会に登場したブゾーニやイザイ以来、110年間の歴史は世界を代表する大演奏家、名歌手、室内楽団によって華やかに彩られてきた。
 その魅力は、大理石による格調高い内装と、豊かで美しい響き。室内楽用では世界有数という評価をもつ名ホールである。巨匠や中堅だけでなく、新進の演奏家にも広く門戸が開かれ、毎年400ものリサイタルが行われている。
 このホールが自ら「ウィグモア・ホール・ライヴ」と題したレーベルを立ち上げ、ライヴ録音をCDで発売し始めたのは、2005年のこと。現在までに30種強が店頭に並び、このホールでのコンサートの魅力を、日本でも簡単に聴くことができるようになった。
 親密な空間が生む、殺風景な巨大ホールでは難しい、聴衆に語りかけるような音楽。最近ではジョナサン・ビスやピノックのリサイタルが印象に残っているが、今月ご紹介するイブラギモヴァとティベルキアン、ペレーニ、そしてエリアスとドーリックの2つの弦楽四重奏団の4種も粒揃いの名演。
 普段はオーケストラ中心という方も、ぜひその音楽に接してみてほしい。

 

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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2010年06月/第81回 アルミンクの過去、現在、未来

 

 クリスティアン・アルミンクが新日本フィルの音楽監督に就任したのは、7年前の2003年秋のことである。
 ウィーン生れのこの指揮者は当時まだ32歳という若さだったから、この決定には驚かされた。日本のオーケストラのシェフになる外国人は、ヴェテランが多かったからだ。
 しかしその起用は、けっしてギャンブルではなかった。ちょうどその頃から、内外のオーケストラで優秀な若手指揮者が何人も活躍しはじめたことを思えば、指揮者の若返りはむしろ世界的な潮流だったのである。
 東フィルの常任エッティンガー、都響の首席客演フルシャ、日フィルの首席客演インキネン、新日本フィルなどに客演のハーディング、新国立劇場の常連フリッツァは東京でもおなじみの顔ぶれだし、世界的にもデュダメル、ユロフスキー兄弟、二人ペトレンコ、ソヒエフ、ネルソンス、ヴォルコフ、ネトピル、セガン、ティチアーティ、フランク、オロスコ=エストラーダ等々、70&80年代生れの俊英は、まさしく枚挙に暇がない。
 そのなかでアルミンクの魅力は、清新で澄んだ響きと明晰な構成力と、そして意欲的なプログラミング。シーズンのテーマを決め、現代曲や大規模な声楽作品を採用して、大きな成果を残している。契約延長を重ね、13年まで10年間も務めることになったのは、楽団側と指揮者が強い信頼関係に結ばれていることの何よりの証明だ。
 昨年ライヴ録音されたフランツ・シュミットの「七つの封印を有する書」は、黙示録の最後の審判を描いた、隠れた傑作オラトリオ。指揮者とオーケストラの過去、現在、未来が、そこに聴けるだろう。

 

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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2010年05月/第80回 ハルモニア・ムンディの充実

 フランスのマイナー・レーベルのCDが面白いといわれだしてからかなりたつが、その傾向はますます強まっているようだ。
 特に充実しているのは、ハルモニア・ムンディである。現在では残念ながら、国内盤化されるのはそのごく一部にすぎないのだが、現代の演奏の潮流をしっかりととらえた、すばらしい演奏が次々と出ている。今月の「ニューディスク・ナビ」で紹介するシュタイアーのゴルトベルク変奏曲と、イザベル・ファウストの無伴奏ヴァイオリン曲集という2種のバッハなどは、その代表格である。
 前者の豊麗で多彩な、しかし虚飾のない、スケールの大きなチェンバロ演奏はおどろくべきものだ。シュタイアーにはフォルテピアノによるモーツァルトなどで意表をつく仕掛けをする人、というイメージが日本では生れてしまったが、このバッハは創意にあふれつつも正攻法の解釈で、広がりを感じさせてくれる。一方ファウストの演奏は、渋くてコクのある響きでひきつけ、同時に弾力のあるリズムで舞曲としての特性を印象づけてくれる。どちらも呼吸感が豊かで、音楽の大きさを自然に提示している。
 これ以外にも新進のフォルテピアノ奏者のベズイデンホウトのモーツァルトのソナタ集、中堅のトリオ・ワンダラーが俊英ヴィオラ奏者のタムスティと共演したフォーレのピアノ四重奏曲など、爽快で新鮮な息吹を感じさせてくれる新譜がならんでいる。
 アメリカ風の大量消費社会のシステムで考えると、現代のクラシックは衰退の一方のように思えるかも知れないが、実演と同様CDでも、このハルモニア・ムンディを代表に、すばらしいものは日々生れているのである。
 

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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2010年04月/第79回 スイトナーをしのんで

 

 今年の1月8日、指揮者のオトマール・スイトナーが、ベルリンで87年の生涯を終えた。
 1970年代と80年代には、名誉指揮者をつとめるNHK交響楽団への客演、音楽監督として君臨したベルリン国立歌劇場のオペラ公演や、そのオーケストラであるシュターツカペレ・ベルリンの演奏会で、ほとんど毎年のように来日して、日本でもおなじみの指揮者だった。海外の一流歌劇場のオペラ公演を日本でこれだけ数多く指揮した指揮者は、ほかには少ないだろう。
 1989年に「ベルリンの壁」が崩壊し、東ドイツが西ドイツに吸収される形で統一が実現した頃から、健康を崩してベルリン国立歌劇場音楽監督の座をバレンボイムに譲り、長い隠退生活に入った。それから約20年目にしての訃報である。
 コンヴィチュニーが1962年に亡くなった以後は、東ドイツの音楽界を代表する存在と位置づけられたが、生まれはインスブルック、学んだのはザルツブルクと、もとはオーストリアの指揮者であった。細部に拘泥せず、大らかで自然な感興を活かした音楽づくりは、ドイツ語圏でも南方の出身であったことが関係しているのかも知れない。
 モーツァルトからR・シュトラウスまで、ドイツ音楽の王道を幅広く演奏したが、今回の特集では名盤として名高いシュターツカペレ・ドレスデンとのモーツァルトの交響曲やオペラ、シュターツカペレ・ベルリンとの、ライヴならではの迫力をもつベートーヴェンやブルックナー、ブラームスなどの交響曲、そして旧東独の名歌手たちとのオペラなど、その演奏にあらためて親しんでいただきたい。

 

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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2010年03月/第78回 現在進行形のショパン

 今年はショパン生誕200年にあたり、また秋には、ワルシャワでショパン国際コンクールが行われる年である。
 ゴールデン・ウィークに東京と金沢、そして今年は新潟とびわ湖ホールでも開催される「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」も、主役はショパン。いろいろな形でこの作曲家の音楽に触れる機会が多そうだ。
 今月の「ウィークエンド・スペシャル」も、2回にわたってショパンの録音を特集する。先月も「往年の巨匠」「現代の巨匠」と題して、往年のコルトーやルービンシュタインから、ポリーニ、アルゲリッチ、ツィメルマンなど、1975年までのショパン国際コンクール優勝者を中心に紹介したが、今回は1980年のダン・タイ・ソンから2005年のブレハッチまでの優勝者、そして現在活躍中のキーシン、アリス=紗良・オットのような俊英たちのショパン演奏を取りあげる。
 現代のショパン弾きの特徴の一つは、アジア各国からの出身者が増えていること。ヴェトナムのダン・タイ・ソン、中国のユンディ・リの2人のショパン国際コンクール優勝者を筆頭に、日本や韓国からも優秀なピアニストが登場して、ポーランドとフランスというショパンゆかりの2国、完成された教育システムをもつ旧ソ連出身などのヨーロッパ勢とともに、高い技術と豊かな個性をもつ演奏を聴かせてくれる。
 また近年は、ショパン自身が用いたのと同じ時代(ピリオド)のプレイエル社製のピアノが弾かれることも増え、20世紀型のピアノと使い分けるピアニストも珍しくなくなった。今回はプラネスとダン・タイ・ソンによるピリオド・ピアノの録音で、そうした現代の潮流もご紹介しよう。

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2010年02月/第77回 ティーレマンの「指環」

 

 ティーレマンは2006年からバイロイト音楽祭で「ニーベルングの指環」全曲の指揮を担当しているが、その2008年の上演が14枚組のCDで発売された。
 ドイツ指揮者界に久しく途絶えていた、骨太で重厚な音楽を聴かせてくれる指揮者として、ティーレマンへの期待は大きい。そして今回の「指環」全曲盤は、その期待に十二分に応えてくれるものである。
 スケールはきわめて雄大で力強く、劇性も叙情性も、それが求められるところでは存分に発揮される。これまではクライマックスのつくり方がうまいとはいえなかったティーレマンだが、この演奏ではその弱点が克服され、解放感と達成感に不足することはない。50歳前後にさしかかったティーレマンは、本当の意味で、ついに巨匠指揮者への道を昇りはじめたといえるだろう。
 それから、このCDの大きな魅力は、音質がきわめて優れていることだ。豊かな音場感と、まろやかに溶けあって歌手の声を絶対にかき消さない、バイロイトの祝祭劇場ならではの音響バランスによる、刺激的にならない美しい響き。この音響を聴いているだけで、気持ちよく酔えるほどだ。本来はDVDメーカーであるオパス・アルテが、あえて音だけのCDで発売した理由が、聴けば聴くほどよくわかるのである。
 今月の「ニューディスク・ナビ」の第1週は、特別編としてこの「指環」を中心に、ティーレマンのこれまでのCDをまじえてお送りする。その「巨匠への軌跡」をたどっていただければ幸いである。

 

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2010年01月/第76回 ザルツブルク音楽祭2009

 今月の「ワールド・ライヴ・セレクション」は、昨年のザルツブルク音楽祭のオーケストラ、歌曲リサイタル、室内楽、オペラを一つずつ、5回にわたってお送りする。
 あらためて2009年のザルツブルク音楽祭の全体の演目を見てみると、その多彩さに今さらながら目をみはる。かつては、ウィーン・フィルとザルツブルクのモーツァルテウム管弦楽団で大半のオペラと演奏会を占め、ゲストのオーケストラは数えるほどだったのが、現在はほかにもたくさんのスター・オーケストラが登場するのが当然になった。
 今年はドイツ・カンマーフィルがベートーヴェンの交響曲全曲を4回のチクルスで取り上げ、古楽勢ではフライブルク・バロック・オーケストラがオペラ「テオドーラ」、ルーヴル宮音楽隊とガブリエリ・プレイヤーズが演奏会。通常の交響楽団もロンドン響、コンセルトヘボウ、ベルリン・フィル、ウィーン放送響が顔を出し、ウェスト・イースタン・ディヴァン管弦楽団もベートーヴェンの「フィデリオ」を演奏会形式で上演している。
 歌曲リサイタルにもコジェナーと内田光子、クヴァストホフとフォークトなど、豪華な顔合わせが多かったが、なかでも今回放送するネトレプコとバレンボイムは、ネトレプコがお国物のロシア歌曲を歌ってくれるだけに期待できる。ヤルヴィもライヴでどんな演奏をするのか、セッション録音のCDとの聴き比べが興味深いし、音楽祭開幕を飾った「テオドーラ」はシェーファーほか、充実した歌唱陣もききものになるだろう。ウェスト・イースタン・ディヴァンのメンバーによる新ウィーン楽派とメンデルスゾーンもどんな響きなのか、楽しみだ。

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2009年12月/第75回 ミンコフスキの愉悦

 

 ほんの数日前に、ミンコフスキとルーヴル宮音楽隊の来日公演を聴いてきたばかりだ。
 猛烈に面白く、愉しかった。音楽が、フレーズが、一つ一つの音が、生き生きと鮮やかに躍動した。しかも、同時にフォルムがしっかりしていて、崩れないことに驚かされた。崩れているなら、ただの下品な音楽にすぎない。しかしかれらは、高速で緩急強弱と音色を変化させながら、総体的な響きや基本となるリズムを崩さなかった。
 おそろしく高水準な位置で、遊んでいるのである。フレーズを崩さずに、しかも歌うという矛盾をやってのけた人に、大指揮者クレンペラーがいるが、そういった人々を思い浮かべずにはいられなかった。もちろん、ミンコフスキはいかめしく皮肉っぽい表情の代りに、音楽を楽しんでいることを隠さないが。
 その弾力と呼吸感。二十世紀後半によく聞かれた、禁欲的で潔癖主義の、しかし単調なハイドンとは、まったく別の痛快で刺激的で、快活なハイドンがここにいる。来日公演の前後には他にも演奏会が続いて、さまざまな時代と様式と規模の音楽を聴いたのだが、ミンコフスキたちの音の鮮やかさと芳醇さは傑出していた。二十世紀風のオーケストラは、もはや「モダン」などと、あぐらをかいていられる状況ではなくなっている。
 感心したのは、ミンコフスキが個々の奏者に見せ場を与えるように細かく配慮していたこと。それがハイドンの場合、音楽の中にある合奏協奏曲的な性格を引き出し、響きを多彩にする効果につながっていた。優秀なロンドンのオーケストラを得て、あれこれ工夫するパパ・ハイドンの喜びが、甦ってきたかのようだった。

 

山崎浩太郎(やまざきこうたろう)
1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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2009年11月/第74回 没後20年のホロヴィッツ

 ホロヴィッツがニューヨークの自宅で亡くなったのは、20年前の1989年11月5日である。ベルリンの壁が崩壊する数日前のことだ。昭和天皇崩御、美空ひばりやカラヤンも世を去ったこの年は、まさに時代の節目だった。
 ホロヴィッツは公式には1904年生れとなっていたが、それは徴兵逃れのためのもので、本当は1903年生れ、つまり86歳で亡くなったと現在ではいわれている。
 その響きの蠱惑的な魅力、圧巻の技術などピアニストとしての評価は絶対的なものだったが、一方で長期間の引退と劇的な復帰など、センセーショナルな話題も多い人だった。
 日本ではとくに1983年の初来日が大きな話題になったし、長く語り種になることになった。専属の料理人を日本のホテルまで帯同するなどの豪華な生活ぶり、当時では異例の高額だったチケット、そして「ひびの入った骨董」という、吉田秀和の有名な言葉。
 このとき不調だったことは本人もよく承知していて、3年後に再来日、力みのないすばらしい演奏で汚名をそそいだ。チケット代もぐんと下がって、良心的なものだったという記憶がある。
 そのときのライヴ録音はあるのかどうか知らない。が、同じ年に行われたロシアへの61年ぶりの里帰りのさいのモスクワでのライヴ盤は、この年のホロヴィッツがいかに好調であったかを示す、価値あるドキュメントになっている。この一枚だけでなく、前後に録音された数枚は、ピアニスト晩年の境地を音にとどめる、味わいの深いものばかりである。
 

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1963年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。演奏家たちの活動とその録音を、その生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書に『クラシック・ヒストリカル108』『名指揮者列伝』(以上アルファベータ)、『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(キングインターナショナル)、訳書にジョン・カルショー著『ニーベルングの指環』『レコードはまっすぐに』(以上学習研究社)などがある。
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