「おいしい豚は、健康だ」元シェフの関谷哲さんが富士山麓で育てる朝霧高原放牧豚|静岡県富士宮市

2023.9.25 | Author: 宮﨑まきこ
「おいしい豚は、健康だ」元シェフの関谷哲さんが富士山麓で育てる朝霧高原放牧豚|静岡県富士宮市

ドドドドドド……

 

腰まで延びた雑草の茎をちぎって泥地に投げ込むと、地鳴りのような音とともに、1匹の豚が現れた。その後を、仲間たちが追う。ジブリ映画『もののけ姫』に登場する猪の神様、オッコトヌシ様と一族のシシたちの登場シーンを思い出した。

 

青空のなかにくっきりと浮き上がった富士山の麓で、モリモリとした巨体がおしくらまんじゅうしながら、投げ込まれた雑草を奪い合っていた。

 

静岡県富士宮市にある「朝霧高原放牧豚」。澄み切った空気と富士山の湧水に恵まれたこの土地で、関谷哲さんは約70頭の豚を放牧している。屋内でのケージ飼育が一般的な日本の養豚業では、関谷さんのように放牧飼育している養豚場はまだ数えるほどしかない。

 

関谷さんは、雑草をちぎっては投げ込み続ける。首尾よくキャッチすることに成功した一頭が高々と顔を上げ、スキップを踏むように雑草をくわえて駆けていく。独り占めにする気だ。抜けがけさせてなるものかと、数頭が後から追いかける。

 

ブヒブヒと上機嫌の声に混じって、ピギー! ピギー! という小競り合いの鳴き声が、澄み切った朝霧の空に響いていた。

豚の一日、豚の一生

富士山麓でのびのび暮らす放牧豚

関谷さんの豚たちは、朝霧高原の3ヘクタール、約9000坪の土地に、およそ3区画に分けられて飼育されている。案内された一角には8カ月齢の豚たちが20頭ほど放牧されていた。

「うちで育てているのは、ごく一般的な豚ですよ。大きくなる品種と、丈夫な品種と、肉質がいい品種をかけあわせた『三元豚』という、日本で一番飼育されている豚です。特別な品種じゃなくても、放牧で育てると味がぜんぜん違うんだよってことを、消費者の方に知ってもらいたくて」

広く囲われた区画には、豚たちが雨風をしのげるよう巨大なトラックの荷台が置かれていた。放牧地の脇には自動で新鮮な水が出る給水場がある。富士山の雪解け水を水源とする水だ。弱い電流が通った柵に囲われた広い区画内で、豚たちは好きなときに起き、水を飲み、泥浴びをして、小屋に戻って眠ることができる。

豚たちは区画内で自由行動。背後に見えるトラックの荷台が豚舎がわり

餌は一日に1回、豚の健康状態を見て時間を決めずに与えている。周辺の食品加工工場からさつまいもや落花生、おからなどの残り物をもらってきて、堆肥を混ぜて発酵させたものだ。豚の体調に合わせて足りないカルシウムやビタミン類をサプリメントで混ぜ込む程度で、特別いい飼料を与えているわけではないという。

「一般的な豚舎飼育だと、一箇所でたくさんの豚を飼育するので、病気にならないよう抗生物質の投与が欠かせません。でもうちはストレスのない環境でのびのび育てているので、自然免疫が強くなり、抗生剤は必要ないんです」

人間の食品加工場から出た残り物を回収し、発酵させた豚の餌

今回の取材で見せてもらった豚たちは、70キロ程度の大きさだった。通常110キロから130キロ程度まで成長した個体から出荷するという。一般養豚と違って強制的に大きくする飼育方法ではないため、成長は緩やかで個体差がある。一般養豚の豚は通常5、6カ月で出荷されるが、関谷さんの豚は9ヶ月から長い個体だと2年かかるものもいる。

「今は2カ月齢の子豚を市場から買ってきて育てています。準備が整えば、出産からやりたいんですが、ぜんぶ管理するにはまだ人手が足りなくて。出産、屠殺(とさつ)、食肉処理はまだ業者に頼らざるをえません」

食肉になった豚は、すべて関谷さんが管理して販売している。販売経路は3種類。ネット販売、レストランへの卸し、そして近隣キャンプ場での販売だ。地産地消のイベントがあれば自ら出店して肉を焼き、試食販売することもある。

加工された豚肉。どの部分を何に加工するかは関谷さんが指示している

「農場は私ともうひとりの職員で管理しています。豚は自由に暮らしていますから、一日に一回、小屋を掃除して餌を与えて、あとは見回りだけ。作業なんて2時間で終わりますよ」

土地さえあれば、豚舎での飼育よりも管理は簡単かもしれないと言う。

「最新式の養豚場って、クリーンルームに空調付きで、完全にオートメーションで豚を飼育しているところもあるそうです。放牧はコストがかかるってよく言われますけど、広い土地さえあれば、かえってこっちの方がコストも手間もかからないかもしれませんよ。もちろん、たくさんは飼えませんが」

栄養バランスの良い餌に豚の生態に沿った飼育など、今の飼育に至るまでは、豚についてどんな研究をしてきたのか。そう尋ねると、彼は首を振った。

「基本的には人間も豚も同じです。私たちがどうしたら健康になるかを考えれば、自ずと育て方が見えてきます。私はただ、豚が豚らしく元気に生きていくことを、ちょっとサポートしているだけ。太陽の光を浴びてストレスなくのびのび生活して、おいしい食事を摂っていれば、人も豚もちゃんと健康に育つんです」

 

「生産者と消費者を繋げたい」生産者の町、富士宮市へ移住

関谷さんは東京都八王子に生まれ、高校卒業後は青果物卸売を手掛ける東一西東京青果へ就職。野菜や果物類を生産者から預かって競りにかけ、一番高い値を付けた仲介業者などに卸す「競り人」としてキャリアをスタートさせた。築地や豊洲の魚市場で競りをイメージするとわかりやすいだろう。

昔からおいしいものを食べるのが大好きだった関谷さん。とにかく食に関わる仕事がしたかったと語る。

東一西東京青果は、多くの作物が集まる場所。そこでは、収穫されたばかりの作物を実際に口にする機会も多かった。しかし、働き始めてから1年も経たないうちに、ある疑問が芽生え始めた。

「自分がおいしいと感じたものが、必ずしも高く売られるわけではないんです。青果は柔らかいものより固いものの方が傷みにくく、サイズも整っている方が見栄えがいい。おいしさよりも扱いやすさや売りやすさによって値段が決まり、生産者や消費者の想いが反映されにくいと感じました。私は、生産者と消費者の思いは共通していると思うんです」

生産者は、単に高い値段で売りたいわけではなく、商品と一緒に自分の想いも届けたいと考えている。一方消費者は、丹精込めて作られた良質な作物を、できるだけ手ごろな価格で食べたい。

両者の想いは一致しているのにそれが実現しないのは、流通システムの問題なのではないか。そう思い至った関谷さんは、東一東京青果を辞め、その後は食に関する仕事を転々とすることになった。

「オーガニックスーパーの立ち上げやビュッフェレストランの料理人もやりました。いわば、『食の出口』を経験して、その選択肢の少なさを実感しましたね。自分が東京にいるからかもしれませんが、鮮度のいい食材がなかなか手に入らないんです。いい素材を手に入れようとしたら、ビックリするほど高かったりして」

新鮮な野菜でも、流通過程に乗らずに廃棄されてしまうこともある一方、スーパーで目にする野菜は、収穫後市場で数日置かれ、味も変わってしまうことも。

生産者と消費者の想いを分ける距離。それを埋めるために、まずは自分が産地に近づかなければ……。

関谷さんが産地への想いを強くしていたころ、ひとつのチャンスが訪れた。ある飲食店の入社面接で対面した社長が、富士宮市にある「富士山朝霧高原富士ミルクランド」という体験型複合施設の社長を兼任していたのだ。

ミルクランドでは、牧場の協力による酪農体験、「富士ヒノキ」を使用したロッジでの宿泊など、地産地消の衣食住を体験できる。売店や食堂でもほとんどが地元食材を扱う、いわば生産者の複合施設だ。生産者に近づきたいという関谷さんの想いとも一致する。

「偶然なんですけど、自分の想いを面接で伝えたら、『じゃあ、ここで働くより、ミルクランドで働いた方が合ってるかもね』って言ってくださったんです」

富士宮市は農業や酪農業がさかんな生産者の町だ。関谷さん自身、偶然にも富士宮には以前アルバイトで2、3カ月滞在したこともあり、知人も多かっただけに、移住への思いも膨らんだ。

ところが入社後、東京での店舗立ち上げ業務に追われるうちに3年、4年と経過し、社長が変わると同時にミルクランドとの縁も切れてしまった。それでも、関谷さんの産地への想いは消えなかった。そして2005年、富士宮に移住することを決意。東京の職を辞して改めて朝霧高原富士ミルクランドのレストランに就職した。

豚とたわむれながら語る関谷さん

 

料理人から生産者へ。独学で始めた農業

「富士宮のレストランで料理人として働いていても、やはり生産者・消費者の隔たりからは抜け出せないことを感じました。これはもう、自分が生産者になるしかないと。もちろんすぐには仕事を辞めるわけにはいかないので、引き継ぎなど入念な準備をしたうえで、農家になるためにレストランを辞めたんです」

ミルクランドに就職してから1年後、関谷さんはレストランを退職、富士宮市内に4、5カ所の畑を借りて、本格的に農業を開始した。

富士山の山稜に沿って広がる富士宮は、場所によって標高差がある。そのため、栽培地によって育つ種類や収穫時期が違い、多様な作物の収穫に向いている。関谷さんもトマト、なす、おくらなど、場所や季節に合わせてさまざまな作物を育てた。

販売経路は、主に以前の職場であるミルクランドや地元のファーマーズマーケット。個人宅への配達も行い、あくまでも直販にこだわった。しかし、農業だけではなかなか食べてはいけず、林業の仕事を掛け持ちしていた時期もあったという。

農業は誰に教わったのかと尋ねると、ほぼ独学だったという答えが返ってきた。

「東京でオーガニックレストランに勤務していた頃、農業を学ぶなら日本バイオファームの小祝政明さんの著書、『有機栽培の基礎と実際―肥効のメカニズムと設肥設計』(‎農山漁村文化協会)が参考になるって話を聞いていたんです。それを参考に試行錯誤を繰り返していきました。私も最初は難しいと覚悟していましたが、植える時期や場所、それに基礎的なことを間違えなければ、作物はしっかり育ってくれます」

富士宮で農業に携わるうちに、多くの仲間に恵まれた。そのひとりが、現在朝霧高原で日本最大級のキャンプ場「ふもとっぱら」を運営している、竹川将樹さんだった。竹川さんに誘われ、関谷さんはキャンプ場のBBQ施設で提供する食材探しを手伝うようになる。その頃には地元の生産者たちが小さなグループとなり、生産者と消費者を繋ぎたいという想いで、共に活動を始めていた。

そこで思い出したのが、「朝霧高原放牧豚」だった。

「ミルクランドで扱っていました。臭みがまったくなくて、豚の肉の味が際立っていた。あの肉をキャンプ場に卸せないかと思い、実際に牧場に見に行ったんですが……」

養豚場の放牧地にいたのは、たった5頭の豚と、高齢のオーナーだった。

豚たちは人馴れしていて、手を出すと匂いを嗅ぎに来る

 

広大な土地に豚5頭、風前の灯からのスタート

養豚場は風前の灯だった。放牧豚を守るためにはとにかく生産量を増やさなければならない。関谷さんや竹川社長をはじめとするグループの熱意に、最初はオーナーも積極的な姿勢を見せていた。オーナーを交えたグループ内での話し合いにより、まずは養豚場の経営を立て直すために、関谷さんが経営管理や営業を担当することになる。目標は1年で80頭の出荷をキープできるようにすること。5頭だった豚を50頭まで一気に増やし、養豚場の経営再建を図った。

しかし、既に高齢で家業を閉じることを考えていたオーナーと、事業をこれから盛り上げていこうとする関谷さんたちとの想いは、すぐにすれ違い始める。急激な変化に気力、体力ともについていけなくなっていたオーナーは、1年後に養豚から手を引いてしまい、話し合いの場にも姿をみせなくなった。

「オーナーが辞めたがっているのは薄々わかっていたので、いつかは辞めてしまうかもしれないとは思っていましたが……」

当時を思い返し、関谷さんは言葉を探すように口ごもった。

「1年間一緒に仕事をしていたといっても、私の担当は営業や経営管理。豚の世話はほぼすべてオーナーが担当していました。もちろん仕事ぶりを遠くから見てはいましたが、自分が豚の世話をするなんて……」

農場にも話し合いにも顔をみせなくなったオーナー。それでも豚は、そこにいる。そして彼らの世話ができるのは、その時点で関谷さんしかいなかった。それでもなんとか、放牧豚を残したい。グループ内で話し合い、関谷さんがオーナーから会社を譲り受けることになる。

そこから試行錯誤が始まった。

まずは肉質の改善。以前一気に頭数を増やした際には、肉質が落ち、精肉店に引き取ってもらえないこともあった。豚の肉質を決めるのは、主に品種と餌。関谷さんはまず、餌の改善に取り掛かる。

当時餌として与えていた食品加工工場の食糧残滓は、よく調べてみるとおからなどが主材料で、栄養バランスがとれていないことがわかった。そのような餌を食べ続けると、豚肉は全体的に締まりがなく、肉の内部から分離する液体である「ドリップ」も多くなる。

関谷さんは、富士宮や隣接する富士市の食品加工工場から残滓をもらってきてはバランスを見てブレンドし、実際に豚に食べさせてみた。そして、その餌で育った豚肉を自分の舌で味わってみて、不満を感じたらまた餌を変えてみる。発酵させてみたり、サプリメントで栄養調整してみたり。豚の成長速度や健康状態もまた、指標になった。

 

課題は山積み、やりたいことも山積み。

養豚場の経営は5年目を迎えた。豚の飼育方法や餌の選別は落ち着いたものの、経営にはまだ課題が残ると、関谷さんは語る。

「今も毎日が試行錯誤ですよ。事業として回していくには、今は外注している豚の出産や処理・解体、商品化までを自分たちでやらなければなりません。放牧豚の養豚場経営はまだ先例が少なく、これをやれば事業が回るっていう方法が確立されていないのが、難しいところです」

事業を拡大するには、まず人を雇わなければいけない。しかし、養豚場の建物内にはまだトイレも設置していないため、物理的な問題も残っている。

それでも、放牧豚の価格を上げるつもりはないという。

「自分は生産者であると同時に消費者でもあります。だから、うちの豚を高級な豚にしたいわけじゃない。一部の余裕のある方だけでなく、一般の消費者の選択肢の一つにしたいんです。そのためには、プレミアムを付けて価格を引き上げるわけにはいきません」

経営に課題は残るものの、前進もある。食のイベントやテレビ・メディアへの露出などで関谷さんの豚の認知が上がり、インターネット販売分は2023年8月現在、多くの部位が売り切れの状態になっている。一度注文してくれた顧客のリピート率も高く、昔からのファンも多い。

富士宮市内の小売店に卸している分も売れ行き好調で、なによりふもとっぱらキャンプ場で販売している、地元ジビエ業者の獲った鹿肉と放牧豚を合わせた「豚鹿豚鹿バーガー(ぶかぶかバーガー)」がキャンパーたちに好評で、キャンプ場併設の食堂では売上上位にランクインしている。

実際に取材の帰りに食べてみると、牛肉のパテよりさっぱりして滑らかな舌ざわり。臭みが一切なく、かぶりつくと爽やかな肉の芳香が喉の奥から鼻腔まで広がっていく。ハンバーガー専門店にも引けをとらない味だ。なによりも目の前に広がる巨大な富士山と澄んだ空気が絶妙なスパイスとなり、気分を高揚させてくれた。

課題は山積みだが、これからやりたいことも山ほどあると、関谷さんは語る。生産者の町、富士宮。豚だけでなく、牛、鶏、農作物や天然木材など、可能性は無限だ。

ふもとっぱらキャンプ場名物「豚鹿豚鹿(ぶがぶが)バーガー」

 

人だって豚だって、楽しく生きる方がいい

「楽しく生きる」がモットーだと語る関谷さん

現在関谷さんは、消費者の選択肢を広げるため、目的の一致する複数の地元団体とともにオーガニックイベントやエコツーリズムなども積極的に手掛けている。2023年10月には、志を同じくする地元の仲間たちと「キャン×スポ@あさぎり」という、食、体験、自然の総合イベントにも関わる予定だという。

「日本では、食品のトレーサビリティをチェックする文化がまだじゅうぶん育っていません。ですが、私が就職した20年前に比べたら、かなり進んできています。ここには私と同じような考えを持って活動している仲間はたくさんいるので、これからもっと広げていこうと思います」

機嫌よく草をはむ豚

取材日は天候に恵まれ、湿気の多い真夏にも関わらず、くっきりと富士山が姿を見せていた。「もっと草をよこせ」と言わんばかりにピンク色の鼻を突き出す豚たちは、まるで青空に向かってハミングしているようだ。

「私のテーマは、『楽しく生きる』なんです。豚だって、生きている間ぐらいは、健康的で楽しい方がいいじゃないですか」

取材・写真=宮﨑まきこ
編集=川内イオ

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