格付け無視で「味に全振り」する梶岡牛 地域に循環経済を生み出す梶岡牧場の挑戦

2023.6.9 | Author: 川内イオ
格付け無視で「味に全振り」する梶岡牛 地域に循環経済を生み出す梶岡牧場の挑戦

『ミシュラン東京 2023』でビブグルマンに名を連ね、東京で最も予約が取りづらい焼き鳥店とも言われる「酉玉 本館」、『ミシュランガイド京都・大阪+岡山2021』で一つ星に選出された岡山のフレンチ「レストランレオーニ」、フランス料理のシェフが集う「エスコフィエ協会」で栄誉ある称号「ディシプル章」を持つ総料理長が率いるホテル「セントコア山口」、世界的VIPも宿泊した山口県の名門旅館「大谷山荘」。

焼き鳥、フレンチ、宿。評価の高さ以外で共通点がなさそうなこの四者がこぞって愛用しているのが、全国的には無名の「梶岡牛」だ。梶岡牛を採用しているのは、ミシュランと並ぶフランス発の世界的レストランガイド『ゴ・エ・ミヨ』日本版に掲載されている名店、地域で熱く支持されている老舗も少なくない。

その割に初耳? それもそのはず。松坂牛、飛騨牛、神戸牛などのブランド牛は地域の名前を使うことが多い。しかし、梶岡牛は個人の名前を冠している。そう、山口県美祢市伊佐町で梶岡家が経営する梶岡牧場で生まれ育った牛だけが梶岡牛と名乗ることができるのだ。

腕利きのシェフたちが熱い視線を注ぐ牛

梶岡牛のサーロインステーキ

牛肉には「A〜C」のアルファベットと「1〜5」の数字で表す格付けがある。A5が最高級品だ。しかし、梶岡牧場は格付けとは関係なく独自の「おいしさ」を追求している。ほかにないその味を求めて、腕利きのシェフたちが熱い視線を注いでいる。

その味のカギを握るのが、牛の健康だと言ったら驚くだろうか? 実際、梶岡牧場ではほかの牧場ではコストと手間がかかるために手を出せないような方法で牛の健康管理を行っている。さらに、牛を健康的に育てることで、地域を潤す循環経済も生まれた。それがどういうことか、詳しくは後述しよう。

梶岡牧場の二代目、梶岡秀吉さんがこの取り組みを始めたのは、2014年。それまでは、大手の食肉業者が所有する牛を預かって育てる「預託肥育」で食べていた。大きく方向転換するきっかけは、廃業の危機に見舞われたことだった。

 

突然訪れた廃業の危機

梶岡牧場の3代目、梶岡秀吉さん

「2011年8月1日、忘れもしませんね」

秀吉さんはそう振り返る。その日、秀吉さんの記憶は混乱している。誰から、どうやって連絡を受けたのかおぼえていない。

安愚楽牧場、倒産。約7万3千人から約4200億円の資金を集め、約15万頭の牛を全国の牧場に預託しながら「和牛オーナー制度」(一般から出資を募り、牛の売却益の一部を配当する仕組み)を展開していた同社が破綻したのだ。

梶岡牧場では、2001年から同社の牛を預かり育てていた。牛舎に219頭の牛が残されたまま、連鎖倒産が目前に迫っていた。

「安愚楽、潰れたんよ」

秀吉さんはすぐ、電話をかけた。その相手は、住宅やビル、橋やトンネルの補修、補強に使われる独自技術「ホームメイキャップ」を全国展開するエムビーエスの代表、山本貴士さんだった。秀吉さんがある経営塾に通っていた時、ゲスト講師を務めた山本さんと意気投合。互いの近況を報告、相談し合う間柄になっていた。

エムビーエスは2005年、福岡証券取引所Q-Boardに上場(2015年には東京証券取引所マザーズ上場)しており、山本さんはいつも多忙にしていたが、秀吉さんから話を聞くと、午後の予定をすべてキャンセルして飛んできてくれた。「いくらいる?俺、梶くんが惨めと思って言いよるんやないよ。こんな所でライバルに躓かれたら、こんな悔しいことはないから」という心遣いの言葉に秀吉さんはボロボロと涙をこぼした。

秀吉さんから改めて詳しく話を聞いた山本さんは、「3、4日、時間が取れるか?」とアマゾンで約20冊もの畜産関連の書籍を買って読み込んだ。再建を支援するためだ。さらに、「梶岡牧場再生支援ファンド」を立ち上げ、わずか数日間で1億円を用意してくれた。そのお金は、安愚楽牧場から預かっていた219頭を買い取るための資金だった。しかし、牛はすぐに売り先が決められていて、手出しできなかった。

数日後、安愚楽牧場の牛を預かっていた宮崎県の牧場で220頭ほど買えそうだという話が出た。すると、「その時にすぐ決済が必要やったら、俺がどうにでもなるようにしとくから」と山本さんも同行。ところが、この時もすでに差し押さえられていて、1頭も買うことができなかった。

秀吉さんによると、安愚楽牧場の倒産で牛を預かっていた約300軒の牧場が廃業や身売りをしている。梶岡牧場も、瀬戸際まで追い詰められていた――。

 

リンゴ農家から牛飼いに

梶岡牧場は、1968年に秀吉さんの祖父と父が立ち上げた。もともとはリンゴの果樹園だったが、台風が直撃すると壊滅的な被害を受けるため、「1年を通して収入を得られる仕事をしよう」と肉牛の牧場に切り替えた。

牧場設立を記した石が今も梶岡牧場に残る

当時、目の前にある山口県の畜産試験場で、乳用に飼われているホルスタイン(白黒模様の牛)のオスを肉用に肥育するという実験をしていたため、一緒に肥育試験を行った。その肉の質が高かったことから、県内の肉屋さんに「こんないい牛を作るなら、 うちと契約してください」と頼まれて、200頭の牛を育てることになった。畜産業界ではこれを「預託」という。

「簡単に言うと、牛の保育園ですね。1頭いくらで預かって、飼料もオーナーが購入した指定のものを与えます。自分で牛を持たない分、リスクは低いけど薄利なんですよ。だから、200頭いても、うちの家族が生活するのにギリギリの状態だったと思います」

少しでも収入を増やそうという思いもあったのだろう。1975年、祖父と父は預かっている牛のフンをたい肥にして袋に詰め、売り始めた。その頃はたい肥を作っても自家消費するのが当たり前だったから、「梶岡はとうとう牛のフンを売り出した。気が触れたんじゃないか」と白い目で見られることもあったというが、それを気にして手を止めることはなかった。

 

後を継ぐと決めた理由

そもそもリンゴ農家からノウハウゼロで牛飼いに転じたように、梶岡家には物怖じせずに大胆なチャレンジをする気質があるようだ。1988年には、梶岡牧場で育てた牛を預託元から買い取り、その肉をステーキとして出すレストラン「ファイヤーヒル」を敷地内にオープンした。

1988年にオープンしたファイヤーヒル

その頃、中学2年生だった秀吉さんは、こう振り返る。

「まだ6次産業化なんて言葉もない時代でしたけど、青年会議所(JC)に入っていた父が、JCで学んだ地域づくりを具現化しようと考えたみたいです。でも、家族にはほとんど相談もなく自分の思いだけで始めたから、母ちゃんも大変だったと思いますよ。今まで牛を飼っていたのが、いきなり接客業になって」

梶岡牧場のある美祢市(みねし)は山口県の中央に位置し、国定公園の秋吉台、特別天然記念物の石灰洞窟「秋芳洞」などがある。有名な観光地が近くにあったこと、日本がバブル景気の渦中にあったこと、牧場で育てた牛のステーキを食べられるという目新しさもあって、レストランは2時間待ち、3時間待ちもざらなほどたくさんのお客さんが押し寄せた。それは、秀吉さんにとっても嬉しいこと……ではなかった。

「土日は手伝いをしなきゃいけなくて、本当にイヤでした。その頃、土曜も午前中だけ学校があったじゃないですか。帰ってくると車がいっぱいで、ああ~ってガックリしてましたね(笑)」

開業してから数年間、レストランは連日、賑わっていた。中高生にとって、週末に家の手伝いを押し付けられるのは憂鬱なことだ。しかし、このレストランが秀吉さんの進路を決めた。

「畜産農家って休みもないし、3Kどころじゃない仕事なんですよ。家族でどこかに行く約束しとっても、牛の具合が悪くなったらその予定はキャンセルでしょ。小さい頃からほんとに良い思い出がないんです。だけど、ここでうちが育てた肉を食べたお客さんがおいしいって喜ぶ姿を見て、農業って可能性があるんだなって感じました。このレストランがなかったから、牧場を継いでなかったかもしれない。それぐらい大きな存在ですね」

 

BSEで崖っぷち

高校を出る頃には後を継ぐことを決め、下関市にある東亜大学の食品工業科学科に入学。ここで食品衛生管理者の資格を取り、卒業後の1995年、梶岡牧場で働き始めた。父親はレストランの経営に忙しかったため、牛の飼育はその当時まだ現役だった祖父から学んだという。

梶岡牧場の牛たち

梶岡牧場が最初のピンチに陥ったのは2001年9月。国内で初めて牛海綿状脳症(BSE)の発生が確認され、針の一刺しで風船が破裂したように肉牛の市場が一気に収縮した。

梶岡牧場に預託していた業者も牛を引き上げ、牛舎がカラに。それはすなわち、収入ゼロを意味する。同年に結婚した秀吉さんが、近所の牧場でアルバイトするほど切羽詰まっていた。

その間も牛を預けてくれる業者を探し回るなか、何度もアプローチしたのが安愚楽牧場。当時、同社は関西、中国地方に契約牧場がなく、飼料や牛を運ぶのにコストがかかるという理由で、知り合いの飼料会社、牛の運送会社、同業者を通じて連絡しても断られ続けていた。

秀吉さんが最後の望みをかけて、安愚楽牧場のホームページの問い合わせフォームに長文のメッセージを送ったところ、それが専務の目に留まり、250頭の預託を受けることになった。

「僕、諦めが悪いんかもしれん。それが一番大事なことかもしれないですね、壁を突破するために。できない方法って、いくらでも並べられるじゃないですか。でも、それを並べたところでなんも進まんし、変わらんでしょ。だったら、できる方法を探すということです」

これは、単なる幸運ではない。日本の農業界はいまだにアナログだ。2001年当時、メールを使っている畜産農家は数えるほどだっただろう。しかし、梶岡牧場は自社のホームページとメールアドレスを持っていた。梶岡家の進取の気性と秀吉さんの諦めの悪さが牧場を救ったのだ。

 

最大の危機から逃れることができた理由

今春に梶岡牧場で生まれた子牛

安愚楽牧場との契約の際、牛と飼料の運搬コストを抑えるため、「いずれは500頭に」と言われていた。1.5リットルのペットボトルを1本だけ配送するより、段ボールに6本まとめて配送したほうがコストを抑えられるのと同じ理屈だ。

2006年、その約束を果たすため、国の補助金などを活用し、2億円を投じて牛舎を拡大。500頭を受け入れられる規模になり、経営も安定し始めた2011年、最大の危機が訪れた。冒頭に記した安愚楽牧場の倒産だ。

ここにその理由は詳しく記さないが、安愚楽牧場の契約牧場があった宮崎県で前年に家畜伝染病の口蹄疫が発生し、牛、豚など約30万頭の家畜が殺処分されたこと、追い打ちをかけるように東日本大震災が発生し、外食産業が大打撃を受けたことが挙げられている。

8月1日に入った破綻の報で半分パニック状態になりながらも、秀吉さんは親友の起業家、山本さんの力を借りて再建の道を探った。自分のところで預かっていた219頭も、宮崎にいた220頭も買い付けることができないとわかった後、山本さんが用意してくれた「梶岡牧場再生支援ファンド」の1億円を使わないことに決めた。

「彼の気持ちはすごくありがたかったけど、それを使って失敗したら僕らの友達関係に影響するかもしれない。それが嫌だったから、自力で頑張れるとこまで頑張ってみるわと言いました」

親友の支えを得て危機を乗り越えた

あては、なかった。しかし、諦めの悪さにだけは自信があった。ちょうど10年前、BSEが発生した時と同じように方々を駆け回り、牛を預けてくれる業者を探した。心臓を鷲づかみにされるような不安と緊張が続いていた12月、知り合いから連絡が入った。

「まだ管財人の手つかずで、行き先が決まってない牛が500頭います」

すぐにその牛を買い取ってくれる業者を見つけて、これまでと同じく預託で500頭を牧場に受け入れた。本当にギリギリまで追い詰められた秀吉さんが諦めなかったのは、自分の仕事を抱えながら並走し続けてくれた山本さんがいたからだ。

「彼は子どもの頃、父親の会社が取引先の事業失敗に巻き込まれていきなり倒産して、本当につらい体験をしているんです。そこから自分の力で必死に這い上がってきたのを知っていたから、彼に比べたらまだまだどん底じゃないと思っていました。多分、僕ひとりだったら気持ちが折れとったところを、ぐっと支えてくれましたね」

 

おいしさと無関係の格付け

2001年、2011年と二度の危機を乗り越えた秀吉さんは、考えた。

「ずっと下請けじゃいかん。イニシアチブを持って経営をしていかないと、また同じことを繰り返すことになる」

もちろん、ともに再建案を考えてくれた山本さんの考えも同じだった。腹をくくった秀吉さんは2014年、14頭の母牛を購入して繁殖、肥育から精肉まで一気通貫で手掛ける体制に一新した。これはまた、常識外れの決断だった。

畜産業界では分業化が進んでおり、所有する母牛に種付けして子牛を増やす「繫殖農家」、その子牛を購入して育てる「肥育農家」に分かれている。そして、肥育農家のもとで成長した牛を買い取り、お肉として販売するのが精肉店。

繫殖、肥育、精肉はプロフェッショナルの世界で、それをトップレベルで両立させるのは至難の業だ。なぜ、これらの仕事を自分の牧場だけで完結させる道を選んだのか?

「うちに生まれた時点で、肉になることが定めじゃないですか。同じひとつの命を奪ってしまうなら、食べた人においしいって喜ばれる命のつなぎ方をしていくことが僕らの使命だと思うんです。もちろんビジネスなので利益も出さないといけないけど、その利益を出すためにはまた食べたいと思ってもらえるお肉じゃないと続かないですよね。うちみたいに市場に出さずに手売りしているところは特にそこが重要なんです」

健康に配慮して育てられる梶岡牧場の牛

前述したように、牛肉には「A〜C」のアルファベットと「1〜5」の数字で表す格付けがあり、A5が最高級品として流通している。例えば、「松坂牛 A5」と検索すると、250グラムのサーロインステーキ2枚で2万円を超える価格がついているオンラインショップもある。

秀吉さんの「おいしさ」は、この格付けとは別にある。なぜなら、アルファベットはその牛からどれだけの肉が取れたかの歩留まり、数字は肉の色や締まり、サシ(赤身の部分に網目状に入る白い脂肪)など見た目を審査するものなのだ。

「おいしさの要素は完全にお置き去りにした評価です。でも、お肉屋さんはそこでしか差別化できない。だから、A5の肉ばかり作るようになってしまう。今、『A5』と評価される肉の割合は7割を超えているんですよ」

 

梶岡牧場が追求するおいしさとは?

格付けは、味と無関係。それだけで目からウロコだが、もうひとつ知られていないことがある。お肉の評価に大きく影響するサシを入れるために、「ビタミンコントロール」が行われている。牛に与えるビタミンを生存に必要なギリギリの状態にすると、自分の身体を守るために栄養を蓄えようとしてサシが入るのだ。

人間はビタミンが不足すると疲れを感じやすくなる、肌が荒れる、筋力が低下するなど健康にさまざまな悪影響がある。慢性的にビタミン不足状態にされた牛はどうだろう? 「サシがたっぷり入った肉を食べたら胃がもたれる」という人は少なくないが、秀吉さんはその理由についてこう話す。

「牛もビタミン不足だと目や皮膚、内臓に悪い影響が出るし、下痢もしやすくなります。そういうストレスに晒された不健康な牛の脂は酸化すると考えています。使い古した揚げ油みたいなものだから、胸やけするんですよ」

梶岡牧場のポリシーをプリントしたTシャツ

精肉店が格付けに頼るのは、「味」の評価が難しいから。この肉は絶品だという人もいれば、それに疑問を呈する人もいる。梶岡牛は梶岡牧場だけのブランドだから、秀吉さんが味を決める。その「おいしさ」には、ひとつの基準がある。

「自分たちが食べておいしい、また明日も食べたいと思うようなお肉です。それを、皆さんどうですかってお裾分けする感覚ですね。肉質でいうと、僕はステーキとしてのベストバランスはA3くらいだと思っています。赤身と脂のバランスが大切です」

梶岡牧場のファイヤーヒルで出しているお肉

この指標を満たすためにたどり着いた答えが、牛の健康。「人間は、その人が食べたもので構成されている。牛もまた同じ」という考えから、米ぬかや酒粕、酒米(山田錦)の米粉などをベースにした人間が食べても安全な、抗酸化作用のある発酵飼料を開発した。レシピは日々改良を重ね、今現在は数百超。その効果はデータで可視化されている。

「普段、いかにサシを入れるかを研究している飼料設計専門の獣医さんに『とにかくおいしい肉を作りたい』と相談したら、協力してくれることになったんです。年4回、血液検査をして発酵飼料が牛の健康状態にどう作用するのかを調べています。母牛には健康的な子どもを産むための要素を持った飼料設計にしますし、肥育する牛は内臓を強くする設計にします。もちろんビタミンはしっかり与えますし、海藻を食べさせてミネラルにも配慮しています」

飼料に使うのは、地元や近隣で仕入れた安心、安全なもの。例えば、酒粕は山口県の永山本家酒造場、新谷酒造などから、酒米の米粉は地元の搗精所(大規模な精米所)などから仕入れている。どれも正式採用する前に試験をして、「これならいける」と判断したものだけを使い、最適な飼料設計を割り出す。飼料にするものはだいたい生産者が処分しきれないものだから、それを定期的に買い取ることで両者のメリットになっている。

牛の飼料として使用しているお米

 

シェフが衝撃を受ける味

牛の健康管理には、テクノロジーも活用している。牛の活動情報を収集し、最適な飼養管理をサポートする「Farmnote(ファームノート)」を導入しているのだ。秀吉さんはファームノートが正式にリリースされる前からメーカーと連携し、アンバサダーとして開発にも携わっている。

牛の首についているセンサーがクラウド上に自動でデータを送るとAIがそのデータを分析し、発情期が近い、病気の可能性がある、などの通知を出す。これを使うことによって24時間、牛を見守ることができるようになった。

すべての牛の首にセンサーがついている

牛の健康への配慮は、牛舎にも及ぶ。牛の居住スペースの床には化学薬品が使用されている可能性がある建築廃材などは一切使わず、コストは3倍になるが、敷料として専用に製造されたおがくずを敷いている。さらに、一般的には1カ月から半年ほど使い続けるその敷料を2週間に一度、入れ替えている。

牛舎に敷き詰められているおがくず

そして通常、牛は20数カ月で出荷されるが、梶岡牧場では32ヵ月以上、長いものは40カ月以上肥育する。例えば熟した野菜や果実のうま味が増すように、牛も熟成させるために時間をかけるのだ。

とことん健康と味を追求して育てた牛を、「梶岡牛」として世に出したのは2018年のこと。当初は生産が追い付かず、自社レストランで提供するのが精いっぱいだったが、その味は少しずつ口コミで広がっていった。そして今では、顧客に出荷情報をリリースするとあっという間に有名店からの注文でリストが埋まるようになった。

「先日、うちのお肉を使ってくれている神戸のレストランのシェフが、どういう飼い方をしているのか現場を見たいと見学に来ました。そのシェフに、『今まで食べたお肉のなかも本当に衝撃的でした』と言っていただいて。プロの方にそう言ってもらえると、自分がやってきたことは間違いないんかなと思えますよね」

名店のシェフたちが求める梶岡牛

梶岡牧場では、一頭分を使い切ってから次の出荷をする。レストランで使いづらい部位はハンバーグや牛丼にしてオンラインショップでも販売しており、無駄になる肉はひと切れもない。

また、歳を取った母牛を1年間かけて肥育し直して、「梶岡牛マザービーフ」として販売している。通常、役目を終えた母牛の肉は二束三文で取り引きされているのだが、「たくさんの子どもを産んでくれたお母さんの偉大さを知ってもらいたい」という想いからのことだ。「いただきます、ごちそうさまの意味を伝えていくのが僕らの仕事だと思っています」と秀吉さん。

 

2000トンが予約で完売するたい肥

引っ張りだこなのは、梶岡牛の肉だけではない。牛の居住スペースで使っているおがくずの敷料を発酵させたたい肥「ヒューマス」は、年間2000トンが予約で完売する。その効果には、実績がある。例えば2023年、大阪と広島にいるヒューマスのヘビーユーザーが、作物の栄養価を競う「身体に美味しい農産物コンテスト2023」の葉ネギ部門、根深ネギ部門、春菊部門で最優秀賞を獲得した。遡ると、2018年には兵庫県のユーザーが丹波黒豆で総合グランプリも受賞している。もちろん生産者の努力が大前提だが、彼らがヒューマスを選んでいるのは事実だ。

全国の野菜農家から支持されるたい肥

驚くべきは、北は北海道、南は鹿児島までユーザーが全国に及んでいること。高い輸送費をかけても手に入れたいというニーズがある。

「うちのじいさんと親父が50年前から作っていたたい肥に、僕が大学で学んだ発酵学を加えたものがヒューマスです。山口大学の先生と共同研究もして、改良してきました。1袋400円で販売していますが、北海道に着くと輸送費で実質1袋1100円になります。それでも欲しいと思ってもらえるのは嬉しいですね」

不快な匂いがまったくしない梶岡牧場のたい肥

梶岡牧場では、ヒューマスを120トン使用してくれている米農家からお米を買い取り、「牧場米」としてファイヤーヒルで提供している。牛を育て、たい肥を作り、そのたい肥で育ったお米をレストランで提供する。秀吉さんの盟友、山本さん率いるエムビーエスでもお歳暮として「牧場米」が採用されているそうだ。これが、梶岡牧場を中心に循環する小さな、しかし確かな経済圏だ。


「うちのたい肥を使った農家さんがお米や野菜で儲けて、またたい肥を買ってくれる。物質ももちろん循環するんですけど、きちんとお金も循環する形でないと続かないんですよね。そしてこのたい肥も、牛の健康が肝になります。例えば、牛のルーメン(4つある胃のうちの第一胃)は約200リットルの大きさがあるんですけど、そこには牛の体細胞数400兆個の5倍、つまり2000兆個の微生物が棲息してるんですよ。この小宇宙のような身体の内側から環境を整えることで、いいたい肥ができるんです」

 

梶岡牧場が目指す未来

現在、梶岡牧場で飼っているのは母牛50頭と肥育されている60頭で、近い将来、頭数を増やすことも視野に入れているという。秀吉さんが意識しているのは海外だ。

2023年3月、兵庫県姫路市の食肉処理施設「和牛マスター食肉センター」で、12カ国から100人を超える海外のバイヤーを一堂に集めたせりが行われるなど、今、世界で和牛への注目が高まっている。その波に乗って、格付け無視で「味に全振りした」梶岡牛を知ってもらいたいと話す。

「海外に輸出するのが目的じゃないんです。海外で食べた人が、これすごくおいしいね、じゃあ飛行機に乗って、新幹線に乗って、うちに食べに行きたいねっていうところを目指したい。そうしたら、地域の人たちも潤いますから」

梶岡牧場は宣伝広告に一銭も使っていないのに、すでに海外でその存在を知られ始めている。ファイヤーヒルを訪ねてくる外国人が、確実に増えているのだ。どうやって梶岡牧場の情報を得ているのか、秀吉さんもわからないという。恐らくSNSで口コミが広まっているのだろう。取材の前日にも中国人観光客が訪れ、ステーキを堪能した後に「本当においしかった。一緒に写真を撮ってください」と頼まれたそうだ。

海外進出を目指す秀吉さん

預託農家時代には想像することもなかった景色が今、秀吉さんの前に広がっている。その景色をより魅力的なものにしようと、牧場の未来に想いを馳せる。それは、梶岡牧場で働くと宣言している大学生の長女と姪っ子を迎えるためでもある。

取材日、牧場を案内してもらった。旅先で牧場の近くを通ると香ってくる、独特の匂いがまったくしなかった。それはたい肥も同じで、これがたい肥だと教えてもらわなければ黒っぽい土にしか見えない。牛舎やたい肥が臭くないのは、牛の住環境と腸内が整っているからだ。

翌日、ファイヤーヒルでランチをした。出てきたお肉は、赤く輝いていた。初めて、お肉を見て「美しい」と思った。その日、赤い宝石のようなお肉を食べて、涙を流す人がいた。

 

取材・文・撮影 = 川内イオ
編集 = ロコラバ編集部

※Farmnoteは株式会社ファームノートの登録商標です

 

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