元商社マン・早川尚吾さんがICTで漁業を変える!マッチョな牡蠣養殖で目指す株式会社リブルの「世界一おもしろい水産業」|徳島県海陽町

2023.9.28 | Author: 甲斐りかこ
元商社マン・早川尚吾さんがICTで漁業を変える!マッチョな牡蠣養殖で目指す株式会社リブルの「世界一おもしろい水産業」|徳島県海陽町

真夏の太陽の下、海底が透けて見えるほど綺麗な海を小舟で行く。海水温は29度。触ってみるとぬるま湯のように感じた。陸から数百メートル離れた養殖場には、細長いプラスチックのカゴが整然と浮かんでいて、中では牡蠣の赤ちゃんがすくすくと育っていた。

 

牡蠣養殖に適した水温は22度前後と言われている。普通だったら暑さで死んでしまうはずなのに、なぜ?

 

その理由はふたつある。詳しくは後述するが、ひとつは、日本ではまだ珍しい、種苗を固着物に付着させずバラバラに育てる「シングルシード方式」を採用し、牡蠣本来の強さを生かした養殖に取り組んでいること。もうひとつは、ICTを活用して厳しい環境下でも安定して牡蠣が育つ仕組み作りに取り組んでいるからだ。

徳島県海陽町

徳島市内から車で約2時間。高知との県境に位置する人口8500人の小さな港町、海陽町が、この挑戦の舞台だ。

この町で「世界一面白い水産業」を目指し、スマート牡蠣養殖に取り組む株式会社リブル。創業者のひとりである早川尚吾さんは、もともと海外でバリバリと働く商社マンだった。徳島県にも水産業にも縁がなかった彼がなぜ、環境的に不利な状況での牡蠣養殖に挑むのだろうか。彼と仲間たちの物語を聞いた。


「このままじゃダメだ・・・」海外駐在で感じた焦り

早川さんは1987年、愛知県名古屋市に生まれた。幼い頃からなにに対しても負けず嫌いで、「やるならとことんやる」タイプ。負けん気の強さを生かして、学生時代はラグビーに打ち込んだ。高校では全国大会に出場。南山大学経済学部に進学した後も体育会ラグビー部に所属し、副キャプテンとして練習に明け暮れる日々を送った。

就職活動では、総合商社を志望。親戚が会社を経営していたこともあり、高校生の頃から「いつかは自分も起業したい」と考えていたため、まずはモノやお金の大きな動きを学ぼうと考えていた。1年間のニュージーランド留学を経て、2011年に豊田通商株式会社に入社した。

株式会社リブル 早川尚吾さん

同社で金属本部に配属された早川さんは、自動車関連メーカーに鋼材を販売する国内営業を担当することに。特に業務改善を目的とした提案営業に注力して、最大で年間2000万円相当の改善を達成するなど着実に成果を残した。そして28歳になった2015年からインドネシアに駐在し、現地スタッフのマネジメントも担うようになった。

大企業で実績を残し、若くして責任ある仕事を任されていた早川さん。一見、順風満帆な商社マン生活を謳歌しているかと思うが、内心は、ヒリヒリとした焦りを感じていたという。

「海外に駐在して、外国のビジネスパーソンと自分たちを比較した時に、めちゃくちゃ負けてるなと思ったんです。僕を含めた多くの日本人には必死さが足りないなと。会社の仕事をしていれば給与は自動で入ってくるし、為替が変動しただけでボーナスは上がる。どれだけ社会や会社に貢献したかではなく、『上司に気に入られている』『怒られない』とか、そういう物差しで評価が決まってしまう。韓国や台湾や、他の国から来ている人たちはいつも仕事に必死で、すごい勢いで成長していた。彼らと比べて、なんだか自分が堕落しているように感じてしまって。自分も日本もこのままじゃダメだなって思ったんです」


駐在員ラグビーチームで、未来の相棒と出会う

悶々とする日々の突破口となったのは、幼少期から続けてきたラグビーでの出会いだった。早川さんは豊田通商でもラグビー部に所属して、社会人リーグの選手として競技を続けていた。インドネシアに渡った後も、現地の日本人が参加する草ラグビーチームに参加し、週2回、年齢も仕事も様々な人たちと一緒に汗をかいた。

そこで出会ったのが、後の相棒となる、高畑拓弥さん(現株式会社リブルCOO)だ。

当時、高畑さんは総合商社である兼松の社員として現地に駐在していた。早川さんと同じく、元ラグビー部で、学生時代から起業を目指し、そして海外での経験を通じて日本に対する同様の焦りを感じていた。

「このままずっと商社マンを続ける?」と葛藤を抱き、日本人の「ガッツのなさ」に不甲斐なさを感じていたふたりは、すぐに意気投合。練習の度に進む方向性やビジネスの可能性を語り合った。

高畑拓弥さん(株式会社リブル提供)

「一緒になにかやろう」と決めた時から挑戦するフィールドは日本の地方に決めていた。それは「日本再興」のカギは地方にこそあると考えたからだ。

「地方には今後、都市部も含めた日本全体に波及するであろう課題がたくさんある。それらに対する解決策を事業化できれば、いろいろな意味での持続可能な発展に繋げられると考えました。すでにさまざまなモノやサービスが整っている都市部よりも、足りないものが多い地方で、自分達の力を使ってなにができるかを考える方が、“日本をよりよくできるはず”という青臭い考えがあったのも事実です」

早川さんと高畑さんがインドネシアで一緒だった期間は、わずか3カ月程度。しかし、高畑さんが先に駐在期間を終えて帰国した後も、情熱は絶えることなく、メールや電話でやりとりを続けながら独立計画をねっていった。


脱サラ、移住、そして起業

独立に向け、俄然、鼻息が荒くなった早川さんは、「日本の地方でなにかやるならどこがいいか」と知り合いに尋ねて回った。そこで経営者の知人と立ち話をしていてたまたま勧められたのが、徳島県だった。

「徳島はサテライトオフィス誘致を積極的に行っていて、県外からの企業や人材を受け入れる土台があるからちょうどいいのではと教えてもらって。話を聞いて調べてみたら取り組み内容が面白そうで、現地で自分もなにかできるかもしれないと感じたので、行ってみようと思いました」

サテライトオフィスとは、都市部に本社を構える企業が地方に開設するオフィスのことだ。企業にとって、働き方の改善や人材確保、地域課題から新しいビジネスチャンスを創造できるなどのメリットがある。自治体側も関係人口の増加が見込めたり、地域課題に民間の力を借りて取り組めたりと、双方winwinの関係が築ける。

徳島県ではリモートワークが一般化する10年以上前の2010年頃から、県をあげて誘致活動に取り組んできた。地デジ移行時に県内全域に光ファイバー網が整備されたこともプラスに働き、IT企業を中心に国内屈指のサテライトオフィス集積地として注目が高まっていた。

その状況に「行ってみる価値」を感じた早川さんは、5年間勤めた豊田通商を退職。2016年7月、徳島県海陽町に移住した。

太平洋に面した徳島県海陽町。静かな湾や小さな入江がたくさんある。

海陽町に決めた理由も、「たまたま」だった。

徳島について情報を集める過程で、偶然、海陽町でサテライトオフィス誘致を担う役場職員と出会った。その人は、水産をはじめ、町の産業政策全般を担当していたことから、地域のさまざまな産業の課題や可能性を話すうちに意気投合。活動の地を海陽町に定めた。

「もし別の地域の人に出会って、例えばその人が山の人だったら、もしかしたら今は林業をしていたかもしれません」と早川さんは笑う。

そして、高畑さんも合流した2016年12月に海陽町で地域活性化事業を行う「一般社団法人Disport」を設立した。

Disportは、町で事業を起こすとっかかりを作るための箱と考えていたため、当初、なにをやるかは具体的に決まっていなかった。かなり大胆な決断にも思えるが、迷いや不安はなかったのだろうか。

「今思うと確かに勢い任せだったとは思います。でも会社にぶら下がっていたら、チャレンジできないと思っていたし、いつか人生を振り返った時に後悔するのは嫌でした。当然、家族や当時は彼女だった妻は心配したと思います。でも、もう決めたことだからと周囲の反応は気にしませんでした。相棒がいたのも大きかったですね。一人だったらもっと迷っていたかもしれません」

当時、早川さんは29歳。若い勢いがあった。しかし一方で、海陽町に移住して1年ほどは「やることがなくて本当に暇」な状態が続いた。その状況に不安を感じる時もあったという。

「会社を辞めて本当によかったのかなと思う時もありましたよ。ビール片手に昼からふらふらして、俺、なにしてんだろうなって虚しくなったりして。やることがないから、近所の田んぼの手伝いをしたりしていました」


美しすぎる海での牡蠣養殖の可能性

やることがない状態に腐らず、地域の手伝いにも顔を出しながら、町内のコネクションを徐々に増やしていった早川さん。すると、人と人とのつながりから少しずつ仕事が生まれるようになり、Disportの活動も活発になっていった。

移住のきっかけとなった役場職員の存在もあり、行政と連携した地域活性化イベントやフィールドワークなどの運営サポートをすることもあった。

そこでもまた、偶然の出会いが生まれる。

2017年10月、町主催の大学生向けインターンプログラムの中で、「地域でさまざまな取り組みをしている人」を招いての勉強会が行われた。早川さんは聞き役としてたまたま参加していたが、そこで「海陽町での牡蠣養殖の可能性」を語っていたのが、後に株式会社リブルのCTO(最高技術責任者)を務める岩本健輔さんだ。

海をバックに早川さん(左)と岩本さん(右)(株式会社リブル提供)

岩本さんは海陽町から車で30分ほど北にある美波町の水産研究会社で、牡蠣の種苗の研究・生産に携わり、その過程で、試験的に海陽町での牡蠣養殖に取り組んでいた。

実は海陽町では、約30年前に牡蠣養殖に挑戦し、失敗した過去を持つ。

牡蠣の育成に向いているのは、餌が多くて、海水温が低い海だ。海陽町の海はその真逆の環境で、熱帯魚が生息するほど温かく、透き通る海は栄養となるプランクトンが乏しい。

そこで岩本さんは、欧米で取り入れられている「シングルシード方式」に着目。綺麗すぎる海での養殖に活路を見出していた。

詳細は後述するが、その方法であれば、海陽町はもちろん、どんな環境下でも牡蠣の養殖が可能になる。さらに高品質で付加価値の高い製品を目指せるため、衰退の一途を辿る日本の水産業にとってひとつの解決策を提示することができるのだ。

岩本さんの話を「めちゃくちゃ面白い!」と感じた早川さんは、それまで頭になかった「水産業での起業」を検討するようになった。早川さんはそれまで、水産業は事業計画が立てづらいと思っていた。漁に出てみないと1日の漁獲量がわからないからだ。しかし、岩本さんの話を聞いたことで、計画的に事業が組み立てられる可能性があると気づいた。

「牡蠣は比較的強い生き物で、環境の変化にも順応しやすい。人間が餌をやらなくても、勝手に海にあるプランクトンを食べて育ってくれます。うまく育てられれば、農業に近い感覚で事業化できる。さらに海を使わせてもらうには、地域の漁業関係者の理解と協力が必要不可欠です。参入障壁が高い分、ライバルが少ない。私たちのようなベンチャー企業にはぴったりだと思ったんです。今後AIに多くの仕事が取って代わられる時代がきたとしても、食べ物を作ることは僕たち人間の仕事。人間が生きている限り、一生続くことです。その領域で、面白い事業作りに取り組みことは、日本の未来を考える上でもとても意義があるなと感じました」


「シングルシード方式」でマッチョな牡蠣を育てる

牡蠣養殖の事業化に「取り組むべき意義」を感じた早川さんは、その場で「詳細を聞かせてくれ!」と岩本さんに直談判。その後、何度も、牡蠣養殖の可能性や課題を話し合っていった。

自然相手の仕事だ。大変なこともたくさんある。しかし、課題よりも「面白そう!」が優った。その頃、岩本さんが勤める水産研究会社で試験養殖事業の中止が決定されたことも重なり、「一緒にやろう!」となるまでに長い時間はかからなかった。

さらに、お世話になっている役場の人が仲介役となり、比較的スムーズに地域の漁業関係にも受け入れてもらうこともできた。やらない理由は、もうなかった。

そして2018年5月、まずは柔軟に動ける早川さんらで株式会社リブルを設立。その後、会社を退職した岩本さんも参画した。メンバーの平均年齢は31歳。50代でも“若い衆”と呼ばれる水産事業者の中では異例の若さだった。

まずは岩本さんが取り組んで来たシングルシード方式の牡蠣養殖をベースに、牡蠣を安定的に生産、出荷できる体制作りに励んだ。

日本の牡蠣養殖は、垂下式養殖法が一般的だ。ホタテの貝殻に牡蠣の種苗を複数付着させて筏から吊り下げ、収穫まで水中で育成する。大量生産も可能だが、養殖可能な地域は限られる。水中にいる間、牡蠣は常に口をあけて餌を食べているから身はどろっとして柔らかい。

一方、シングルシード方式では、種苗を網目状のカゴに入れて、牡蠣一つひとつを独立して管理する。潮の満ち引きにより、1日2回、カゴが水面に出て干上がった状態になるため、その間、牡蠣は固く殻を閉じて、餌を食べず暑さにじっと耐えるようになる。この「トレーニング」を小さい時から繰り返すと、暑さに強く、餌が少なくても育つ強い牡蠣になるのだ。

シングルシード方式で使う養殖カゴ

早川さんによると、牡蠣は本来、防波堤など、波打ち際の干上がるところにくっつく習性がある。自然と同じ環境を再現してあげることで、牡蠣が持つ生き物としての強さを引き出せるそうだ。

「夏場の晴れた日は、干上がった状態のカゴの温度は40〜50度にもなります。普通だったら暑さや餌不足で死んでしまうけれど、小さい時から、このやり方で鍛えていけばある程度はしっかり育つ。人も牡蠣も日々の鍛錬で強くなれる。私たちの牡蠣は超体育会系なんです」

リブルでは社内に種苗を育てる技術と施設を持っていて、2カ月くらいは室内で育て、種苗が5ミリ程度に育ったら養殖カゴに入れて海に出す。ひとつのカゴに多くて50個。育ってきたら30や20と一カゴあたりの数を少なくして、牡蠣たちが餌を食べやすいように調整している。

「手はかかるけど、その分、強く育ってくれるから」と早川さんはにこやかだ。

厳しい環境でも育つ“マッチョな牡蠣”の種苗


“筋トレメニュー”にICTを活用。「誰でもできる養殖」を目指す

シングルシード方式にも課題はある。厳しい環境下で牡蠣を安定的に養殖するための「筋トレメニュー」には、微細な調整が必要だ。海やカゴの温度、牡蠣の成長度合い、波の高さなどを把握し、養殖場を適切な状態に保つ必要がある。

しかし、それらはいわゆる「経験者の勘」に依存していて、属人的で誤差も大きい。そこで早川さんは、技術や経験がなくても牡蠣養殖に取り組める仕組みを作ろうと思いたつ。それには日本の水産業が抱える課題に取り組みたいという思いもあった。

「特別な技術や経験がある人だけでなく、やる気のある人であれば誰もが水産業に取り組めるようにしたいと思ったんです。海仕事の経験がない若者でも、女性でも、高齢者でも、挑戦したい人は誰でも挑戦できる仕事にしていきたい。技術面はもちろん、省力化できるところは省力化して、どんな人でも一定のクオリティが出せて、かつ稼げる仕組みができれば、きっと未来に残せる水産業にできるんじゃないかと」

そこで考えたのがIT技術の活用だ。サテライトオフィス誘致が盛んな徳島県では、企業のICT技術を地域課題解決に活用する事例も多い。早川さんもDisportの活動の一環で、海陽町の役場担当者と一緒に、地方進出に興味があるIT企業と話す機会が何度もあった。

その過程で、KDDIの地域共創プロジェクトの担当者と出会った。さらに、リブル創業と同じタイミングで、KDDIが地域との共創事業を増やす方針を打ち出したため、同担当者から「一緒になにかできないか」と話が舞い込み、ICTを活用したスマート漁業の実現に向けて協働が始まった。

現在、リブルの養殖場では、IoTセンサーを養殖カゴに取り付けて、水温、塩分濃度、濁度、クロロフィル(プランクトンの量)などを計測している。KDDIが構築したクラウドネットワークを活用し、養殖場に浮かぶ送信機器から、パソコンやタブレットにデータが送られてくる仕組みだ。

リブルのメンバーは、その情報を見ながら作業内容を検討し、一つひとつの牡蠣が順調に育つように見守っている。データは徳島大学の研究チームとも共有し、養殖技術の改善に生かしているという。

IoTセンサー。ソーラーパネルを使い自然光で充電する。


付加価値は「海陽町らしさ」

2018年5月に開始した牡蠣養殖の事業化は、度重なる台風に悩まされながらも、2020年1月には、クラウドファンディングの支援者向けに初めて牡蠣を出荷できるようになった。そこから2年後の2022年には、年間6万個を生産できる体制を構築。2023年は20万個の生産目標を掲げている。だが、重さにすると10トンにも満たない。

広島など牡蠣養殖が盛んな地域では、1年間に200トン以上、生産できる事業者もいる。大規模事業者と比べるとかなり少ないが、早川さんが狙うのは量より質だ。

リブル流の牡蠣養殖では、カゴの中で牡蠣同士が適度にぶつかるため、表面にヘドロやフジツボが付着しにくく、綺麗な状態を保てる。また、定期的に丘に上げて大きさごとに選別し、育つスピードが似た牡蠣を同じ養殖カゴに入れて育てるので、ロスが少なく、粒の大きさが揃ったものを出荷できるのだ。

魅力をわかりやすく伝えるべく、町内外の飲食店関係者を招いて牡蠣を食べるイベントを実施したり、地道な営業活動を続けた。その結果、生食用の牡蠣を提供するレストランから注文が集まるようになり、なかにはミシュランで星を獲得している店もある。綺麗で粒の揃った牡蠣を安定して納品できるため、一般的な牡蠣取引単価と比較して3~5倍の値段をキープできているそうだ。

「私たちは世界一おいしい牡蠣を目指してはいません。人によっておいしさの基準は違うから、食べ物である以上、万人受けを狙うのには無理がある。それよりも特徴をしっかり伝えることを意識しています。綺麗な海で育った牡蠣は、スッキリとした味わいが特徴です。まさに海陽町の海のような味。濃厚な牡蠣が好きな人には物足りないかもしれないけど、逆に苦手な人には喜ばれます」

後日、食べたリブルの牡蠣は、まさに粒揃いだった。ガッチリと閉じた殻を開けるとほんのり潮の香り。引き締まった身は、何個食べても飽きがこない旨味があり、気がつくと一人で20個も完食していた。


水産業を孫にすすめられる仕事にしたい

もうひとつ、リブルが注力するのは安定した雇用の創出だ。一般的な牡蠣養殖の場合、種苗を吊り下げた後は、収穫まで仕事がないのがほとんどで、収穫の時期だけ季節労働者を雇う事業者も多い。

一方、リブルの方法であれば、海や牡蠣の状態をチェックしたり、「筋トレ」をサポートしたりと、1年を通じて人手が必要だ。現在、リブルの従業員は14人。海陽町出身の人もいれば、海の仕事に興味を持って移住してきた人もいる。地元に帰ってきたい、海の近くに住みたい、新しい挑戦がしたい、と就職理由も様々だ。

働き続けられる職場作りにも余念がない。チームによってまだばらつきはあるが、養殖を担う海上生産チームは、基本的に週休二日、定時退社を実現している。今後は有給取得率の向上や賞与なども順次進めていく予定だという。

今は自分の子供や孫が漁師になりたいと言ったら止める人も多いそうだ。未来の若者が安心して働ける職場を作ることも、早川さんの大切な仕事の一つなのだ。

作業場にあるテントサウナは福利厚生の一つ。冬には大活躍するそう。

 

世界一面白い水産業を、日本全国、そして世界へ

リブルでは現在、食用牡蠣のほか、種苗の販売と自治体への技術支援にも取り組んでいる。「海陽町で牡蠣養殖ができたのだから、他の地域でできないはずがない」と、日本全国の水産業を「面白く」するために走り回っている。リブルが養殖技術の指導やインフラ構築支援に携わる自治体は2023年8月現在、全国22県にのぼる。

また、今後は商社時代に培った商魂を活かして、海外事業も積極的に取り組んでいく予定だ。マレーシアやタイなど東南アジアを中心に、生食用牡蠣の輸出も始まった。将来的には、海外でも養殖体制を整え、全世界にリブル流の水産革命を起こすことが、早川さんが描く最終目標だ。

リブルHPからネット注文も可能。箱には「世界一面白い水産業へ」の文字

「水産業を、面白そうだからやってみたいと思う人がたくさんいる仕事にすることが、私たちの一番の目標。日本のどこでも、どんな環境でも、誰がやっても、安定して稼げる、それが私たちの目指す『世界一面白い水産業』です。未来の若者が、自身のチャレンジのフィールドとして水産業を選んでくれたらとても嬉しいし、チャレンジしがいのある産業にしていきたい。子供たちに、父ちゃんの仕事かっこいいって思ってもらえるようにね、頑張っていきます」

大海原を舞台に仲間たちと紡ぐ挑戦の物語。大きな夢を語るその目は、太平洋の光を受けて熱く輝いていた。

取材・文・撮影=甲斐りかこ
編集=川内イオ

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