サーファーが農業に挑む!1日200本売れる焼きイモ経済圏|石川県羽咋市

2023.7.13 | Author: 川内イオ
サーファーが農業に挑む!1日200本売れる焼きイモ経済圏|石川県羽咋市

「8本ください」と注文する男性の声が聞こえて、耳を疑った。その時、僕は石川県羽咋市(はくいし)にある焼きイモ店「テンプルファームストア」で、店主の寺田彰吾さん、友美さん夫婦の話を聞いていた。

 

午前10時、開店の時間になってわりとすぐ、その男性が焼き芋を買いに来て、友美さんが「はい、8本ですね」と笑顔で応対した。僕は日常的に焼き芋を買う習慣がないので、そんなに食べるの? と思ったのだが、珍しいことではないという。

 

「だいたいひとり5、6本は買っていきますよ。家族で食べるっていう人が多いですね」と彰吾さん。家族みんなで焼き芋を頬張る姿を想像して、焼き芋を半分に割った時にフワッと立ち昇る湯気のようなホクホクした気分になる。

 

テンプルファームの焼き芋は、彰吾さんが「ホームセンターで買ってきた」という鉢植え用の鉢を工具で一部カットし、ふたつを上下に合わせた自家製「つぼ」のなかにサツマイモをぶら下げて、「つぼ焼き」にしている。「何度も実験した」という試行錯誤によって、農薬も化学肥料も使わず栽培したサツマイモの蜜でトロトロに柔らかいスイーツのような甘さの焼き芋を生み出した。

 

 

焼きイモ店を経営するフォトグラファ

2022年1月、能登半島をぐるりと一周する国道249号線沿いに「テンプルファームストア」を開くと、この焼き芋が1日最大200本も売れるほど大繫盛。寺田夫婦も「こんなに売れると思っていなかった」と驚く人気ぶりで、あっという間にサツマイモが足りなくなった。その年の冬は、無農薬栽培をしている知人から買い取って乗り切ったが、ふたりは次の焼き芋シーズンに向けてユニークなアイデアを実行することにした。

名付けて、「苗プロジェクト」。近隣や友人、知人にサツマイモの苗800本を無料で配り、自然栽培してもらう。秋に実るそのサツマイモを買い取って、高齢化が進む地域に仕事を作り、お金を循環させようという試みだ。

このチャレンジがどうなったのか……を記す前に、経験ゼロで農業を始め、OLをしていた友美さんを巻き込んで焼き芋を事業化した彰吾さんの人生を振り返ろう。かつてアメリカに5年間滞在し、英語も達者なプロフォトグラファーという顔も持つ彰吾さんが、なぜ焼き芋?

トロトロという表現がぴったりの柔らかさ

 

バックパッカー、アメリカへ渡る

バックパッカーからフォトグラファーに

金沢出身の彰吾さんは高校中退後、3年ほど工事現場で働いた。20歳で上京してから、お金を貯めて海外を旅するバックパッカーになった。

21歳の時、スリランカの東岸にある有名なサーフスポット、アルガンベイで初めてサーフィンをしてその魅力に目覚めた。それからは日本でアルバイトをしてお金を貯めては世界各地のサーフスポットを巡った。24歳の時、インドネシアの宿でサーフィンの映像を撮っている日本人に出会った。それが転機になった。

「彼は2年ぐらいかけて映像作品を作っていて、僕はアシスタントみたいな感じで、現地で手伝うようになりました。そのうちにサーフィンをどう表現するのかというところで、映像とか写真っていいなと思うようになったんです。カメラを通して現地の人とも仲良くなって、コミュニケーションツールにもなると知って、ちゃんと勉強したいと思うようなり、アメリカ留学を決めました」

当時26歳の彰吾さんは、カリフォルニア州南部のサンタバーバラに渡り、コミュニティカレッジの映像科に入った。最初は英語もままならず苦労しながらも、映像と写真の教育に力を入れているその大学で必死に技術を身に着けた。

「ひとつのムービーを作るにも、ひとりで作るわけじゃないんで。4、5人集めてプロジェクト会議をする時にいろいろ説明しなきゃいけないんだけど、ちょっと言葉が足りない部分もあるから文章で説明するんです。そこに時間がかかるから、よく図書館にこもって書いていましたね。そういうディレクションはすごく難しかった」

現地のお寿司屋さんで働きながら4年間勉強し、無事に大学を卒業。「ずっとサーフィンをしてきたから、やっぱりハワイのノースショアに行きたい」と新天地へ向かった。

 

「サーファーマー」との出会い

帰国した後は山での撮影にはまった。

ハワイでもお寿司屋さんで生活費を稼ぎながら、1年間、サーフィンの撮影に没頭。コンテストに応募して受賞したり、個展を開いて作品が売れるなど充実した生活を送っていたが、「日本で映像、写真の仕事がしたい」という思いもあり、2014年、31歳の時に帰国した。

海での撮影に明け暮れていた彰吾さんは、「5年も雪を見ていないから」と北海道の富良野へ。そこでゲレンデではなく、手つかずの山のなかを滑るバックカントリースキーのスキーヤーに出会い、いくつかの山を渡り歩きながらシャッターを切った。

それがきっかけで山の景色にも惹かれるようになり、春になると豪雪地帯で知られる富山県の立山にある山小屋でアルバイトを始めた。そこで半年ほど仕事をしながら空き時間に撮影をするという生活に「すっかりはまって」、雪で山が閉ざされる冬の間はアルバイトをしてお金を貯め、山が開く春になると山小屋に戻って半年過ごすという日々を繰り返した。

ところがある日、目が覚めたように「ずっとリゾートバイトしている場合じゃない。下界で自分がやってきたことをやらなきゃ」と思い立ち、金沢へ帰郷。結婚式場を運営する会社に就職し、ブライダルカメラマンになった。それからツテをたどり、日本サーフィン連盟の仕事も請けるようになって、公式カメラマンとして日本各地で行われる大会の動画や写真を撮影するようになった。

2016年、ようやく生活が安定してきた時、興味を持ったのが農業だった。

「山から降りてきた時、サーファーでトマト農家をしている人のところで、ちょっとだけアルバイトをしたんです。日本海側は冬にサーフィンをするから、春から秋まで農業をして、冬はサーフィンどっぷりの生活ができるんですよね。サーフィンと農業をする『サーファーマー』と名乗っている人たちがいて、すごくいいなと思いました」

 

農業とサーフィンの共通点

当時、金沢で一軒家を借りて友美さんと暮らしていた彰吾さんは、一緒に庭でニンニクを作り始めた。基本的な技術も知識もゼロだったが、すぐに野菜の栽培に夢中になった。

「トマト農家のサーファーマーにアドバイスをもらって始めてみたら、野菜を触っている時の感覚がサーフィンで波待ちしている時の感覚に似ていたんですよ。時間か止まっているような瞑想状態というか、なにも考えないで野菜が光に照らされているのを見ているのがすごく気持ちよくて。野菜がどんどん成長する姿もおもしろかった」

金沢の会社で働きながら、彰吾さんに誘われて家庭菜園を始めた友美さんも、頷く。

「私は小さい頃、すごくいなかに住んでいたのでおばあちゃんの農作業の手伝いをしていました。大人になってからはなにもしていなかったんですけど、やり始めたら楽しくて!」

金沢の会社で働いていた友美さん

ふたりで大切に育てた野菜を収穫して食べると、そのおいしさはいつもと違って心に沁みた。それは経験したことのない感覚だった。それからふたりはさらに野菜作りにのめり込み、彰吾さんは次第に「自給自足みたいな生活がしたい」と移住を検討するようになった。

そこで目を付けたのが、石川県羽咋市。金沢から車で1時間程度、海がきれいでいい波がくるのに、サーファーが少ないのが気に入った。空き家バンクで家を探すと、幸運にも海沿いに建つ一軒家を見つけた。

「ここでなら、自分がやりたいことができるかもしれない。サーフィンをしながら、フォトグラファーと農業をしたい」

 

「誰でもできる」自然栽培とは?

2018年7月、羽咋市柴垣町で新生活を始めた。新居から金沢の会社に通っていた友美さんも、間もなくして「畑がしたい」と退職し、近くのイチゴ農家で働き始めた。「多分この人に会わなければ、そのまま金沢で働いていたと思うんですけどね。すごく変な人だから巻き込まれています(笑)」と友美さん。

その頃、羽咋市に移住してくる人は稀で、ふたりは注目を集めたいたのだろう。自宅の庭で野菜を育て始めると、近所のおじいさん、おばあさんが次々と話しかけてきた。

「お前ら、農業好きなんか?」

「はい」と答えると、「あそこも空いとるよ」「ここも空いとるよ」とすでに耕作されていない土地を教えてくれた。柴垣町も少子高齢化が進んでいて、農業をやめた生産者が多かったのだ。

それなら、と約50平米の農地を借り、自然栽培でトマトやキュウリを作り始めた。そうして近隣との関係が深まると、農業を続けているご近所さんが、たくさんの野菜を届けてくれるようになった。スーパーに並ぶ野菜は、収穫されてから数日経過したもの。採れたての野菜の味は格別で、自分が作った野菜を贈り合う文化に温かみを感じた。

農地が広がるにつれて、自分たちで食べたり、家族や近隣に分けるだけでは追い付かないほど収穫量が増えていった。そこで、自宅の軒下に野菜を置いて無人販売しつつ、「ポケットマルシェ」や「食べチョク」といった農産物のオンライン通販サービスを利用して売り始めた。やがて、サツマイモが育てやすいうえにおいしいと気が付いた。

「トマトとかキュウリって、自然栽培でも結構世話がいるんですよ。水をあげたり, 枝の手入れをしないといけない。サツマイモは植えてからそんなに世話いらないんです。活着(根付くこと)すれば、ほぼなにもしなくていい。それに痩せた土地に合うと言われていて、柴垣町は海沿いの砂地だから、さつまいもが自然栽培ですごくよく育つ土地だったんです」(彰吾さん)

自然栽培したサツマイモ

一般的に、農薬や化学肥料を使わない自然栽培は雑草や害虫に悩まされるうえ、サイズも小さくなりがちだ。ところが柴垣町はサツマイモの生育にピッタリの土地だったようで、彰吾さん曰く、「誰でもできる」。この環境が後に苗プロジェクトのカギを握るようになる。

 

ふたりの探究心

もともとイモが好きだったふたりは、石焼きにしたり、焚火のなかに放り込んだりと「おいしい焼きイモの作り方」を研究した。その過程で知ったのが、「つぼ焼き」。調べてみると焼きイモ専用のつぼも売られていて、15万から20万円もする。さすがに高いと感じ、なにかほかに方法はないかと考えている時、彰吾さんがホームセンターで鉢植えの鉢を見て閃いた。

「これでいけるんじゃ?」

冒頭に記したように、工具で一部カットして、ふたつを上下に合わせた「つぼ」を作った。そのなかにサツマイモをぶら下げ、「つぼ焼き」にしてみたら、どの焼きイモよりも甘くなった。

彰吾さんが自作したツボ

没頭型のふたりは、そこで満足しなかった。今度はどうすれば「つぼ焼き」でサツマイモのおいしさを引き出せるか、実験を繰り返した。サツマイモは収穫直後ではなく、数カ月間寝かせたほうが甘みが強くなる。その期間が1カ月なのか、2カ月なのか、3カ月なのか? ツボに入れて焼くのは1時間なのか、2時間なのか、3時間なのか? ツボの温度はどうすればいいのか? サツマイモの種類は?

無数のパターンを試し、出した答えは2カ月寝かせたイモを、200度で2時間焼く。この焼き方で理想の味に仕上がるのは、紅べにはるか、安納芋、シルクスイートの3種類。「これが一番おいしい」と自信を得たふたりは、2020年冬、庭で焼きイモを作り、週に一回、軒下で売り始めた。

ここで一気に評判になり……という展開にはならなかった。最初の年は購入者からの「おいしい」という言葉に喜びつつ、細々と販売を続けた。

試行錯誤の結果、生まれた焼き方

ビッグウェーブを呼び込んだのは、「一度、表通りで売ってみたい」と考えていた友美さんの思いつきだった。30、40年前にラーメン店だった建物が国道249号線沿いにあり、農機具の置き場として使われていた。すぐ近くに妙成寺という有名な寺院があり、訪ねる人も多い。

「ここがいいんじゃない?」

建物のオーナーは、道路を挟んで向かい側で畑をしている90歳のおばあさん。「町の活性化にもつながると思う」と相談すると、「それならいいよ」と許可をくれた。

 

「苗プロジェクト」が生まれるきっかけ

すぐ近くの妙成寺に初詣の参拝者が押し寄せる2022年1月、土日限定で「テンプルファームストア」を開いた。この開店に合わせて、友美さんは工夫を凝らした。焼きイモを食べる時、まんなかから半分に割って食べる人が多い。そこで、包み紙のまんなかに紙が切れやすくなる点線を入れて、袋ごと割れるようにした。そうすれば、誰かと半分シェアする時に包み紙ごと渡せて食べやすくなる。

この包み紙によって簡単にシェアできるようになる

オリジナルつぼ焼きイモのただならぬ甘さと、こういった細部への配慮が追い風になり、テンプルファームストアの存在は口コミだけで一気に広まった。なんと、オープンしたその月に1日200本の売り上げを記録したのだ。

「うちのやつは蜜でトロトロなうえにすごく甘みが強いから、子ども大人も食べやすいんです」(友美さん)

「食べた後の感覚もいいんですよ。お腹いっぱいになるけど、気持ちいいんです」(彰吾さん)

客足は落ち着いたものの、2月以降も焼きイモは売れ続け、しばらくすると自分たちで作ったサツマイモでは足りなくなった。そこで、知人から無農薬栽培しているサツマイモを買い取って乗り切りながら、彰吾さん、友美さんは考えた。それが、近隣や友人、知人に苗を配り、自然栽培してもらったサツマイモを買い取る「苗プロジェクト」だ。

「もともと柴垣町はすごく栄えていた町で、民宿が40軒もあったそうです。それがだいぶ廃れてしまって、今はお店もないんですよね。この町にはサーファーとか釣りをする人がいっぱい来るんですけど、お金を落とす場所がない。僕らはおじいちゃん、おばあちゃんからいつも野菜をもらってるんで、それならイモを作ってもらいって、俺らが買い取るシステムを作って、町のなかでお金を回せばいいんじゃないかなと」

「苗プロジェクト」で集まったサツマイモ

苗プロジェクトで町にお金を循環させたいと語る寺田さん

2022年5月、「苗プロジェクト」始動。800本の苗を用意し、「いいイモができたら、僕らが買うんで」と伝えて無償で配った。柴垣町でサツマイモを自然栽培するのがいくら楽だと言っても、本当に苗を育ててくれるのかはわからない。「とりあえずやってみよう」というノリに近い感覚だった。

迎えた収穫の秋――。続々とサツマイモが集まってきた。総重量、およそ500キロ! おじいさんたちが軽トラに、おばあさんたちが手押し車に採れたばかりの土がついたサツマイモを載せて、テンプルファームストアまで運んできたのだ。そのサツマイモの重さを量り、1キロ400円で買い取った。「苗をタダでもらったんだし、お金はいらない」という人がもいても、そこはお金を循環させるためにしっかり支払った。

もちろん、栽培に失敗するなどしてサツマイモを持ってこない人もいたが、それよりも大きな課題が浮上した。サイズが大きくなりすぎてツボに入らないサツマイモがたくさんあったのだ。それはいらないから持って帰ってというわけにもいかず、焼きイモにしない前提で安く買い取った。

自分たちで育てた分も含めて、十分な量のサツマイモが揃ったところで、さらにもう一段、アクセルを踏んだ。友美さんがイチゴ農家の仕事を辞め、今年1月から週6日、お店を開けることにしたのだ。すると……「500キロじゃ、ぜんぜん足りなくなりました。仕方ないので、今はまたほかのところから取り寄せています」(彰吾さん)。今年も妙成寺の初詣客で大繁盛し、その後は地元のリピーターが買いに来るようになった。

「平日はドカンッていう感じではないですけど、それでも開けてすごくよかったのは、皆さんに存在を知ってもらえたことですね。土日だけだと 認知度でいえば今の半分ぐらいだと思うんですよ。それに、お客さんと『あなた移住者なんでしょ?』『そうなんです』っていう会話ができるのも嬉しい。平日も開けてよかったです」(友美さん)

ツボのなかから焼きイモを取り出す友美さん

 

夏にも売れる焼きイモ!?

一方の彰吾さんは、フォトグラファーとしての活動も続けている。兼業も板についた今、次に目指すのは苗プロジェクトをもっと拡大すること。

「もっといっぱいイモが欲しいんですよ。今はお店もふたりでやっていて限界があるけど、焼きイモは夏にも売れるし。いずれは焼きイモに使えない大きなサツマイモも加工できるようにして、チップスとかも作りたいですね。そうしたら、もっとお金も巡るようになるし」

ここで読者は「ん?」と思ったかもしれない。夏にも焼きイモが売れる? そう、売れるのだ。友美さんが焼きイモについて研究している時、インターネットで見つけた「冷やし焼きイモ」。試しに凍らせた後、冷蔵庫に入れて解凍してから食べてみたら、「むしろ冷やしたほうがおいしかったんです(笑)」。彰吾さんいわく、「一度焼いたサツマイモを寝かせると、さらに甘くなる」そうで、「アイスクリーム感覚で食べられます」。

実はこの冷やし焼きイモ、2022年の夏からテンプルファームショップで売り始めたところ、売れに売れた。……と言われてもどんな味か想像できないなと思っていたら、ふたりが凍った焼きイモを出してくれた。取材後、これを解凍して食べたら、瞳孔がクワっと開くほど甘いのに口当たりはさっぱりしていて、もはや極上のスイーツ。自然栽培のサツマイモで罪悪感がないどころか栄養たっぷりだから、たくさん売れるのも納得だ。

1年を通して焼きイモが売れるという確信を得たからこそ、彰吾さんは大量のサツマイモを求めている。いずれは地元のおじいさん、おばあさんだけでなく、移住者にもサツマイモを作ってもらいたいと話す。サツマイモを育てるのに適した柴垣町なら、難しい知識も技術も必要なく自然栽培できる。その移住者が農家にならずとも、副収入ができることで町は確実に潤うからだ。

サーファーマーが妻と二人三脚で創る、焼きイモ経済圏。海と農業に魅せられた男に、新たな目標ができた。

「いずれ、テンプルファームストアがスポンサーになって、サーファーを支援したいですね。そして柴垣町がサツマイモの名産地になったら面白い」

取材・文・撮影 = 川内イオ
編集 = 池田アユリ

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