きっかけは妻のひと言。「ワイン堆肥」と循環型農業で作る、ただかね農園・髙野宏昭さんのイチゴとは|埼玉県秩父市

2023.9.25 | Author: 中たんぺい
きっかけは妻のひと言。「ワイン堆肥」と循環型農業で作る、ただかね農園・髙野宏昭さんのイチゴとは|埼玉県秩父市

西武秩父駅から車で約30分。観光客で賑わう街中から山へ車を走らせると、道路沿いにはぶどうやブルーベリーの果樹園が並ぶフルーツ街道に入る。その先へ数百メートル進むと、ひときわ大きな2棟のビニールハウスが目に飛び込む。その脇には、ただかね農園と書かれた看板が掲げられていた。

 

駐車場に入り、車を止め、ビニールハウスに足を進めると、空調服を着た髙野宏昭さんがかがんで土の状態を確認していた。

 

「こんにちは。今は土づくりをしているのでしょうか」

 

「次のシーズンに向けて、ワイン堆肥を使って土づくりをしています」

 

髙野さんが2代目となるただかね農園ではイチゴを栽培していて、「大地のいちご」のブランドで販売している。「大地のいちご」の品種は、9種類。その中でも、2017年に埼玉県が開発した甘みの強い「あまりん」と濃厚な味わいが楽しめる「かおりん」は人気が高い。

 

特に髙野さんが手掛ける「あまりん」は市場からの評価も高く、100年の歴史を持つ老舗の洋菓子メーカー、コロンバンが開催した「お客様が選ぶ!!全国イチゴ選手権」の初代・2代目のチャンピオンにも輝いた。

 

ワイン堆肥とは、髙野さんがおいしいイチゴを作るために開発した独自の堆肥だ。ワイン堆肥の原料のほとんどは、近所のワイナリーや農家で廃棄されるもの。地域のワイナリーで発生したブドウの搾りかす、これまで廃棄されていた、キノコを育てるために使用したおがくずに米糠などの栄養を混ぜて固めた培地、もみがら、イチゴのヘタや葉っぱなどを土と合わせて、約1年かけて発酵させている。

 

完成した堆肥の一部は原料の提供者に分けられ、さらにワイン堆肥で育ったイチゴはワイナリーでフルーツワインにもなる。

 

地域で循環する農法を確立し、日本一のイチゴを作るようになったただかね農園と髙野さんは、どのような道のりをたどってきたのだろうか。その軌跡を辿っていこう。

25歳で農園の跡継へ

ただかね農園のビニールハウス

1974年、髙野宏昭さんは、埼玉県の秩父で畜産と農業を家業とするただかね農園の2代目として生まれた。地元の高校を卒業した後は、農業の専門学校に進学した。

「褒められることもあって、楽しかったので、今思うと農業は得意だったのかもしれません。ただ、農業を職業にしようとは思ってませんでした。卒業後は、園芸関係の会社に就職しました」

農業を始めたきっかけは、父親からの連絡だった。園芸の仕事に慣れた25歳の頃に、「農園を引き継いで欲しいから一緒にやってくれないか」とお願いされたのだ。

「父親の頼みだから仕方ないか」と考えた髙野さんは会社を退職。牛の飼育、ブドウとイチゴの栽培を父と母の2人で営んでいる秩父の実家へ戻り、農園のなかでも売れ行きがよかったイチゴ栽培に携わるようになった。

当時は2000年代の初頭。まだまだ景気のいい時代だった。イチゴ狩りが楽しめる観光農園は少なく、ただかね農園は週末になると観光客でいっぱいになった。売上は右肩上がり。2割しかなかったイチゴの売上は、2年で5割以上を占めるようにもなった。

イチゴの売上を見た髙野さんの父親は、畜産とぶどうを辞めて、イチゴ一本に絞ることを決める。

「作れば作るほど売れる時代でしたね」と髙野さんは振り返る。

 

改善を実行させてもらえない修行期間

ただかね農園を経営する髙野さん

イチゴの売上が順調に伸びていくのとは裏腹に、髙野さんは危機感を覚えていた。

「首都圏から交通アクセスのいい埼玉県南部にイチゴ農家が増えていました。いい時代は長く続きませんよね。工夫をしていかないと淘汰されてしまう。生き残るためには、秩父だけではなく、埼玉全域の農家と品質で勝負しないといけないと考えていました」

イチゴの品質を上げるためには、改善しながら味をおいしくする必要がある。細かい改善点に気づいた髙野さんは、栽培方法を変えようとしたものの、農園で働き始めたばかりの新人の声に両親は耳を傾けてくれず、なかなか受け入れてもらえなかった。

「例えば、現在は、イチゴを栽培する時に白いカーテンで日光を遮るようにしているんですが、当時は前例がないという理由で認められませんでした。他にも資材を購入して、栽培方法を変えようとしても、首を縦にふってくれません。ひとり立ちするまでの数年間は大変でした」

長く農業に携わっている人が気づかないポイントを、経験の少ない髙野さんが見つけられたのはなぜだろうか。「どういうふうに改善点を見つけていたんですか」と質問すると、じっくり目を見ながら答えてくれた。

「イチゴをじっくり観察していると、差異がわかるんです。カーテンで直射日光を遮るのが有効だと気づいたのは、イチゴの味を比べたから。日の当たっているイチゴと日の当たっていないイチゴを食べ比べて、ある時間帯に日光が当たっていないイチゴがおいしかったんです」

苦労しながらも着実に経験を積む髙野さんは、2005年頃に農園を受け継ぐ。それからは農園のリーダーとして、自身の考えたイチゴ栽培を真っ直ぐに実践していった。

 

農薬をあまり使わないイチゴ農家へ

髙野さんが最初に力を入れたのは、農薬を必要最低限しか使わないこと。農薬を使わずに殺虫・殺菌する方法を研究している県職員の方にコンタクトを取り、その方法を学んだ。

「県にはイチゴを専門的に学んだ方が3名いらっしゃったんですね。その人たちと交流をしていくなかで、自分が考えていることとデータも合致しているのがわかりました。この時に、自分の考えを理解してくれる人とも初めて出会えました。嬉しかったです」

農薬を使いすぎると、悪玉菌だけではなく善玉菌も死ぬため、土の生命力が弱くなる。もし悪玉菌が一気に増えると、次の年も土壌を消毒しなければならず、イチゴを栽培するための土に悪い影響を及ぼす。

当時の技術では、悪玉菌だけを消毒する技術がなかったため、可能な限り農薬をまかないようにしていた。

ただ、現在は悪玉菌だけを消毒する土壌消毒の技術が確立されたので、それを活用しているという。

「農薬と言われると、よくないイメージがありますが、残留性を抑えた危なくない農薬もたくさんあります。例えば空気に触れれば窒素に変わる。撒いて数時間も経てば、農薬は水に分解される。果物や野菜に残留しない農薬を活用すれば、食べる上での影響はほとんどないんですよね」

それでも、ただかね農園では、苗の栽培にしか農薬を使っていない。その理由を聞くと、優しい笑顔で教えてくれた。

「自分の子どもが食べるので、『お父さんのイチゴはこのまま取っていくら食べてもいいんだよ』と言いたいんですよね。そこはこだわっています」

 

危機から始まった堆肥づくり

ただかね農園は2011年に最大の危機を迎えた

2011年の春、ただかね農園は窮地に立たされていた。東日本大震災が発生した影響で、観光客は激減。イチゴを作るための堆肥も市場での供給量が少なくなり、価格が上昇していた。収入の減少と経費の高騰は経営を圧迫し、その状況を打破する対策を打つ必要があった。

「自分で堆肥を作るのが一番いいんだろうな」

堆肥を内製できれば、経費を圧縮できる。イチゴを育てる過程で発生する数百キロ単位の葉っぱを堆肥の材料にできれば、廃棄費用の削減にも繋がる。この土地のイチゴ作りに適した堆肥を開発できれば、高品質のイチゴも作ることができる。

オリジナル堆肥の開発に光を見出した髙野さんは、新しい挑戦を始めた。

しかし、ゼロから堆肥を開発していくのは、簡単ではなかった。畑の一画で、牛・豚・鶏のフン、サツマイモやカボスを原料にしながら堆肥の試作を重ねるも、どうもしっくり来ない。

1年のイチゴ栽培での堆肥使用量は、数トンにも及ぶ。他の地域の原料を購入すると運送費などのコストがかかるため、地域資源を活用する必要がある。限られた状況で作業性、土との混ざり方、イチゴの出来栄え、すべてを満足させる堆肥を目指さなければならなかった。

理想の堆肥を完成させるまでのゴールは遠かった。

 

大雪による壊滅的な被害

堆肥作りを始めて3年後の2014年2月、ただかね農園に再び危機が訪れた。100年に1度と呼ばれるほどの大雪が関東地方に降り、秩父地方に大雪警報が発令されたのだ。最終的に秩父に積もった雪は1メートル。多くの農家が被害に遭った。

その日は、朝から雪が降り始めていた。日が落ちて、気温が下がると、より雪の勢いは増し、夜になると秩父は白い静寂に包まれていた。

「ビニールハウスは耐雪仕様だから何とか持ち堪えてくれるかな……」

髙野さんは、いつもと違う様子に不安を感じながらも床についた。しかし、ほとんど眠ることができず、23時に嫌な予感がして目を覚ました。

起き上がり、窓の外を眺めるとスキー場と見紛うほどの銀世界が一面に広がっていた。さらにその銀世界の上には新しい雪がどんどん降り積もっていく。

「これはまずい」

農園の様子が心配になり、雨合羽を羽織り、ライトと長靴を用意すると、自宅から約500メートル、徒歩10分の場所にある農園へ向かった。しかし、雪に足を取られ、思うようには進めない。農園に到着するのに約1時間ほどかかった。

ようやくたどり着いた時、目に入ったのは暗闇の中で雪を被った4棟のビニールハウスが必死に立っている姿だった。

ビニールハウスが無事だったことにほっとしたものの、髙野さんは頭を悩ませた。

「ビニールハウスを暖房で温めて、その熱で積もった雪を溶かさなければいけない。でも、夜に温度を上げるとせっかく育てたイチゴの品質が下がる……」

イチゴを栽培する夜のビニールハウスの温度は5℃~8℃が適切とされている。もしビニールハウスの温度を上げると、イチゴの味が落ちてしまう。

「もしかしたらこのまま耐えられるかもしれない」とわずかな望みを捨てきれず、しばらく葛藤を続けていたが、屋根に重なり続ける雪を見て、判断を下した。

「仕方ない……」

髙野さんは、それぞれのビニールハウスを回り、温度を一定に保つために使用していた暖房機の温度を上げていった。

しかし、雪は溶け切らず、朝5時頃には雪に雨が混じり始めた。ビニールハウスに積もった雪は雨を吸収し、より重さを増していく。

次第にハウスの骨格がたわみだし、その様子を見た髙野さんは白旗をあげた。

「もう時間の問題だな」

ビニールが暖房機に落ちて火事にならないように機械の電源を落とし、給油口のバルブをきつく締めると、暖房機などの運び出せる機材を外へ避難させた。

残りのビニールハウスにも足を運び、同じ作業を行っていったが、最後の4棟目のビニールハウスで限界の時は訪れた。

暖房機を運び出す準備を終えて、顔を上げると、柱がゆっくりと傾き始めていたのだ。

「危ない!」

走ってビニールハウスの外へ出て、雪の中を数メートル進み、振り返ると、雨を吸収して雪の重さに耐えきれなかった屋根が、畑の上に倒れ落ちた。

惨状を目の当たりにした髙野さんの頭に浮かんだのは、「これからどうしよう……」という言葉だった。

「この時、8割のビニールハウスが倒壊していました。どうにか頑張ろうと思いましたが、じわじわと資金繰りは厳しくなっていって、苦しい状況が続きました。でも、これまでの設備費用も返していかないといけなかったので、とにかく前向きに頑張るしかありませんでしたね」

このような危機的な状況にあっても、髙野さんの意識は数日でイチゴ作りに向かうようになる。

「ビニールハウスの天井が落ちてしまい、ハウス内の9割の畑がぐちゃぐちゃになり、イチゴ栽培ができなくなりました。なんとか無事だったところだけは収穫を続けましたが、ただ、水も堆肥も与えられなくなったので、『すぐに枯れてしまうだろう』と諦めていました。それでも、無事だった部分は、土が水分を自然に保ち続け、イチゴがその水を求めて根を深く伸ばしたことで、6月までイチゴの収穫ができたんです。土に生命力がついてきているんだと自信を持てました」

 

妻のひと言がきっかけで完成したワイン堆肥

発酵させているワイン堆肥

2014年の大雪後、イチゴ作りを再開した髙野さんは、再び堆肥作りにも取り組んでいた。困難を極めていた堆肥づくりだったが、妻の奈美子さんのひと言がきっかけで、ひと筋の光明が差した。

「妻なりに考えてくれていたんでしょうね。ある日、『ワインの搾りかすなんかどうかな』と言ってくれました。その言葉がきっかけで、以前にテレビでワインの搾りかすを使った堆肥を作っている人がいることを思い出しました」

髙野さんはワインの絞りかすを使った堆肥を作るために、まずは以前にテレビで見た山梨県の先駆者にコンタクトを取ろうとした。

その農家は、ワインの搾りかすを使った堆肥づくりを辞めていたものの、幸いにも参考文献やデータが県の施設に残っていたため、それらを参考にすることで堆肥作りは一歩前へと進んだ。

さらに調べていくと、四国でワインの搾りかすを使った農業をしている人にたどり着いた。すぐに連絡を取り、基本的な知識を教えてもらうと、「堆肥や土は生き物なので同じものは作れない。でも、それなら秩父の気候に合ったものを作ればいい」とわかった。

「ブドウの搾りカスに含まれるポリフェノールは生物が99%吸収できると言われたんです。それを聞いて、菌のいいエサになり、土が元気になるだろうなと思いました。実際にワインの搾りかすを材料に堆肥を作ってみたら、いいものができあがりました。土との混ざり方もよかったです」

数年経つと、土に住んでいる微生物の環境が整い、その微生物の働きにより、少し粘り気のあった土はサラサラでフカフカとした質感に代わった。「予想はしていましたけど、こんなに変わるんだと驚きました」と髙野さんは語る。

このワイン堆肥は、堆肥の原料を提供してくれている農家さんへ無料で配っている。ただ、ただかね農園のイチゴ作りに特化した堆肥のため、需要はそれほど多くはない。配布先は2名で、その両名はきゅうり栽培に活用しているそうだ。

イチゴ作りに適した堆肥を開発した髙野さん。埼玉県が開発した新しいイチゴの品種と出会い、イチゴ作りはさらに飛躍していく。

 

悔しさを感じるほどの品種との出会い

髙野さんが手がけるあまりん(画像提供:ただかね農園)

「最初にあまりん、かおりんに出会った時は、その甘さとおいしさに悔しさと怒りが湧いてきました」

埼玉県が開発した新品種のイチゴのあまりん、かおりん。髙野さんが始めて出会ったのは、品種の名前がつく約15年前、髙野さんが家業を継いだ頃のことだった。

特にあまりんの甘さには驚かされた。一般的なイチゴの糖度は11だが、あまりんは15〜18を誇る。コツコツと研究や改良しながら取り組んでいたイチゴの栽培法が、品種の力でひっくり返る。試作を口にした時に、強い敗北感を抱いた。

「この品種が世の中に出回ったら、従来の作り方だけでは到底太刀打ちできない」

品種の強さを恐れた髙野さんは、品種が出来上がったら、早くその特性に合う栽培方法の研究を進めようと考えていた。

最初の試食から数年が経った頃、かおりんと一緒にあまりんが完成し、栽培モニターの声がかかった。奇しくも大雪で大きな被害を被った2014年のことだった。

「あまりんは、品種の力が強すぎるので、武器にしないと生き残れないと考えました。埼玉県から品種のテスト栽培の声がかかった時は、いの一番に手を挙げましたね」

それから3年が経った2017年。あまりんは埼玉県の新しい品種のイチゴとして登録された。

髙野さんの予想は当たった。このあまりんがきっかけで、ただかね農園は、イチゴの賞を多く受賞するようになる。

コロンバンが開催する「お客様が選ぶ!!全国イチゴ選手権」の初代・2代目のチャンピオンに輝き、野菜ソムリエ協会主催の「全国イチゴ選手権」でも銅賞を受賞。ワイン堆肥で作られたあまりんは、甘みと旨みが芳醇で多くのリピーターに愛されるイチゴになった。

さらに、イチゴ農園への来園者も約20%増えて、大雪前に40アールだった耕作面積は65アールへと増えた。

「2014年から2022年にかけては復興を乗り越えて、規模を広げられた時期でした」

 

未来へ繋げたいもの

サスティナブル農法で次世代に農業を残していく

イチゴ作りに20年以上、奮闘している髙野さん。大雪からの復興もようやく終わりが見え、ビニールハウスも1棟増えた。

ここ数年の収入の割合を聞くと、イチゴ狩りの売上が4割以上とのことだ。観光客が多いため、秩父の郊外に来てもらえる魅力ある農園にしていかなければいけないと考えている。

「家族で来た方に喜んで欲しいので、ヤギやウサギと触れ合える場所を設けています。私が好きで飼い始めたのですが、子どもに人気です。ヤギやウサギのフンは、埼玉県のデータでワイン堆肥に悪い影響を与えないとわかっています。なので、廃棄せずに原料として堆肥に投入しているんですよ」

最近では、おいしいイチゴを作ることだけではなく、農業の未来について、考えるようになったという。

「いま3名の若い職人がいるんですけど、その子たちが社会に出ていくために、少しでも役立てるようなことをできたらと考えています」

最後に、髙野さんが目指す未来について語ってくれた。

「子ども達が成長して、持続できる環境の未来について考えるようになりましたよね。農業を始めたころはおいしいイチゴを作れればいいとしか思っていませんでした。正直、サスティナブル農法に行き着いたのも、土と堆肥を自分で作った方が甘く育ったからです。でも、それだけではいけませんよね。かっこよく言えば、『ここで作っているいちごは甘いだけじゃないんだよ』と子どもたちに誇れるイチゴを未来に残していきたいです」

取材・文・撮影=中たんぺい
編集=川内イオ

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