福島県いわき市「SEA WAVE FMいわき」が東日本大震災の災害報道で学んだもの

2022.3.28 | Author: 天谷窓大
福島県いわき市「SEA WAVE FMいわき」が東日本大震災の災害報道で学んだもの

2011年3月11日、マグニチュード9.0の激震が東北から関東にかけて甚大な被害をもたらした東日本大震災。福島県の海岸沿い「浜通り」の南東部に位置するいわき市は、地震と津波に加え、東京電力福島第一・第二原子力発電所による原子力災害によって甚大な被害を受けました。

そのいわき市のメインストリート・平(たいら)地区に位置し、1996年より放送を行っているコミュニティFM「SEA WAVE FM いわき」(以下、FMいわき)。震災発生時は、スタッフが局に泊まり込んで災害報道を続けました。

未曾有の災害に直面し、手探りの状態で24時間体制の災害対応を2ヶ月間にわたって続けたFMいわき。どのような情報が求められ、どう伝えていったのか。そこから見えてきた、コミュニティFMとしての役割とは。株式会社いわき市民コミュニティ放送 代表取締役 鷺 弘樹さん、同局アナウンサー 坂本美知子さん、同放送局長 安部正明さんに話を伺いました。

県域メディアも避難するなか、「いわきに唯一残った放送局」として災害情報を放送

――阪神大震災を機に、街の防災インフラとして立ち上げられたというFMいわきですが、震災前にも災害対応は行っていましたか?

坂本さん:東日本大震災が発生するまで、いわきは「台風も避けて通る」というほどに災害の少ない街でした。台風についてはおおよその到達時間が予報でわかりますので、あらかじめ体制を組み、終夜放送できるような体制は毎回備えていましたが、文字通り天地を揺るがすような地震は初めての経験でした。

株式会社いわき市民コミュニティ放送 アナウンサー 坂本美知子さん

 

――災害に対する備えはしていたものの、それをはるかに上回るものだったのですね。

坂本さん:東日本大震災の前年、阪神大震災の記憶を語り継ぐシンポジウムが神戸で開催され、私たちFMいわきのスタッフも出向いてお話を聞いたり、震災とともに立ち上げられた地元のコミュニティFM「FMわぃわぃ」(※1)を見学させていただいたりと、限られた範囲での災害情報の伝え方を学んでいたところでした。

「広域都市のいわきで阪神大震災クラスの災害が起きたらどうすればよいのか、検討しなくては」と話していたのですが、その矢先に東日本大震災が来てしまいました。

(※1)FMわぃわぃ:兵庫県神戸市長田区のコミュニティラジオ局。阪神大震災後に災害情報を伝えるミニFMとして立ち上げられ、在住する外国人に向けた多言語放送を行った。1996〜2016年にかけてはコミュニティFMとして放送を行っていたが、現在はインターネットによる放送へ移行

 

――発災後、災害報道はどのような体制で行っていましたか。

坂本さん:スタッフが8時間ずつシフトを組み、情報収集や放送にあたりました。ときには事務所の床に布団を敷いて仮眠を取りつつ、2ヶ月間にわたり、24時間泊まり込みの災害報道を続けました。

鷺さん:いわき市内には県域の放送局や新聞社も取材拠点をおいていましたが、福島第一・第二原子力発電所の原子力災害の影響によって、すべて地域外に避難せざるを得ない状況となり、FMいわきが唯一いわき市内に残った放送局となりました。

株式会社いわき市民コミュニティ放送 代表取締役 鷺 弘樹さん

 

――文字通り、いわき市の情報を伝える唯一のメディアだったのですね。

鷺さん:いわき市を拠点とし、防災インフラとしての使命を帯びて立ち上げられた放送局としての務めを果たさなければ、と必死の思いでした。社員も被災していましたが、市民生活を守るという社会的責任を果たすため、震災に関する情報をとにかくリアルタイムで届け続けました。

 

時間によって変化した情報ニーズ。情報の信頼度は“日頃の関係性”で担保

――災害時は、発生からの時間に応じて必要な情報が刻一刻と変化します。東日本大震災の場合、いわき市では情報のニーズはどのように変化しましたか。

坂本さん:発災当初に求められたのは、安否確認の情報でした。「身内と連絡が取れないが、どこにどう問い合わせしていいかわからない。とりあえずFMいわきに電話がつながったので、問い合わせた」というご連絡を、非常に多くいただきました。

その次は、生活に関する情報です。給水所の場所を案内したり、断水している地域に向けたて「いつごろから水道が使えるようになるか」といった、再開のめどを伝える情報がとくに求められました。

いわきは地理上、移動手段としての車が欠かせないのですが、ガソリンの入手もまさに死活問題でした。県もかなり努力をしてガソリンを調達してくれていたので、放送では「このスタンドで今日ガソリンを入荷する」という情報を、生活が安定しだした後期になってからは、津波の被害を受け、まだ身元がわかっていないご遺体の特徴も伝えました。

 

――取材や情報収集は、具体的にどのように行っていましたか。

坂本さん:ガソリンが不足していたため、取材に出ることは物理的に難しい状況でした。一方、私たちがスタジオを構える場所から至近距離にいわき市が災害対策本部を構えており、自転車で往復しながら情報収集を行うことができました。

 

――スタジオのある中心部から、津波の被害を受けた沿岸部までは距離が離れていますが、こちらに関する情報はどのように収集していましたか。

坂本さん:スタジオから沿岸部までは車でも最低10分ほどかかり、直接の取材は難しい状況でした。沿岸部に関する情報は、地元に住むリスナーさんから情報をいただいていました。

安部さん:震災当日、地元紙『いわき民報』の記者がたまたま海沿いで取材をしており、自身も津波で車を流されながらも、徒歩で現場を歩きながら、FMいわきに情報を寄せてくれました。「いま、肩まで水に浸かった人が救助された」というような、刻一刻と状況を伝えるメールが届いたのをいまでも覚えています。

株式会社いわき市民コミュニティ放送 放送局長 安部正明さん

坂本さん:本当であれば、受け取った情報はいったん裏取りを行い、確認が取れたものだけを放送するべきでしょう。ただ、この記者さんとは普段からお付き合いがあり、人間関係を担保とした情報の信頼性があると判断しました。

 

地元在住の専門家コメントで、原子力災害への不安や恐怖を軽減

――福島第一・第二原子力発電所の原子力事故では、いわき市の一部にも退避命令が出るなど、きわめて緊迫した状況となりました。

坂本さん:福島第一・第二原発がどのような状況になっているのか、当初は私たちにもまったくわかりませんでした。福島第一原子力発電所の4号機が水素爆発を起こした様子も、詰めていた災害対策本部のテレビで目の当たりにしました。

「放射線量は、直ちに健康に影響を及ぼすものではない」という話もありましたが、「直ちに」とは、具体的にどのぐらいなのか。外に出て、放射線を浴びてしまったら「水で洗い流せ」というけれど、水も満足に出ない状況ではどうすればよいのか──。

いわき市から避難されている方に加え、いわき市に残って復旧作業を行っている方々も、私たちの他に大勢いらっしゃいました。みんなが持つ不安や恐怖から、なんとか身を遠ざけなければならないと考え、安心できる情報を伝えるために動きました。

 

――具体的に、どのようなアプローチを行ったのでしょうか。

坂本さん:放射線医学総合研究所の方に「いま私たちが置かれている状況はどういったものなのか」と電話インタビューを行い、その模様をそのまま無編集で放送しました。

このほか、いわき市に在住の東北大学名誉教授で、放射化学を専門とする理学博士である吉原賢二さんとコンタクトを取り、ご自宅でお話を伺いました。

吉原さんからは「洗濯物を外に干しても大丈夫」というお話や、「日常生活においては、この程度のことであれば全然大丈夫」と、非常に詳しくお話をしていただき、「私たち市民はこういうところに注意すれば良いんだ」と、具体的な目安を得ることができました。

 

――いわき市で実際に生活する専門家の方のお話は、説得力の面でも心強いですね。

坂本さん:遠くから見ている専門家ではなく、「近くにいる専門家」の話を聞けたというのは、市民のみなさんにとっても安心材料の一つになったのではないかと思います。

 

震災から11年、いまも放射線情報を毎日伝え続ける

――震災から11年が経ちます(2022年2月取材)が、現在はどのような情報を伝えていますか。

坂本さん:現在も、ワイド番組の中で1日3回、市内のモニタリングポストで計測された空間放射線量を伝えているほか、水道水に含まれる放射線物質量の検査結果も1日1回伝えています。

帰宅困難地域の指定が解除され、地元に戻られた方もいらっしゃいますが、いまもまだ、他地域から避難し、いわき市内で生活を送られている方が大勢いらっしゃいます。そうした方々に向け、それぞれの町の情報をお届けするプログラムもお届けしております。

 

――こうしたお話を伺うと、東日本大震災はいまも継続しているのだと気づかされます。

坂本さん:いまも被害は継続していますし、広域都市としていわき市が抱えるさまざまな問題とかも複雑に絡み合っています。いまだ手探りの面が多いですが、市民のみなさんから情報を寄せていただいたり、「こういう情報が欲しい」という要望をいただくことによって、必要な情報を伝えられる体制が徐々に整ってきたように思います。

 

――情報のやりとりを通じ、市民のみなさんと関係性を深めているのですね。

坂本さん:震災の一時的な被害が終わり、生活再建に向けての生活情報を扱うなかで、市民のみなさんとのご縁もさらに深まったように感じます。いまでは、何かあったときに、協力のお申し出をいただく機会も増えました。いま地元メディアとして、市民の皆様からも非常にご期待をいただけていると自負しています。

 

「知りたいのはそんな情報じゃない」1本のクレーム電話から学んだ“リスナー目線”

――市民のみなさんと深いつながりがあるからこそ、ニーズを把握できたのですね。

安部さん:とはいえ、最初からできたわけではありません。リスナーのみなさんが何を欲しているのかを考え、それを先取りして情報発信していかなければいけないということを、東日本大震災では身をもって学びました。

 

――印象に残っているエピソードはありますか。

安部さん:災害対策本部から収集したライフライン復旧情報を流していたところ、猛烈なクレーム電話を受けました。「すでに復旧している地域なんか知らせてどうする。私たちは、自分の家の水道がいつ使えるようになるかを知りたいんだ」と。私たちにとって、目が覚めた瞬間でした。

 

――その後、どのように動いたのですか。

 安部さん:復旧工事の担当者に、工事の計画を出してもらえないかお願いしました。当初は「内部情報にあたる工事計画を前もって明かすことはできない」と断られましたが、粘り強く交渉することによって、工事の予定をいただけるようになり、復旧予定の情報として放送で流せるようになりました。

 

――行政からの情報に対しても、“取材”を行うようになったのですね。

鷺さん:FMいわきはいわき市が母体の第3セクターであり、行政と三位一体となった運営が特徴です。とはいえ、行政が出す情報と市民のみなさんが欲する情報には、どうしてもギャップがある。そこをどう取り持つかが、私たち放送局の役割ではないかと感じました。

安部さん:リスナー目線といいますか、何のためにこの放送が聴かれているのだろうということを第一に考え、放送に臨むようになりました。基本的なことかもしれませんが、ある意味、私たちの初心に返ることができたと思っています。

 

――ニーズに応えるなかで、FMいわきからリスナーのみなさんへ働きかけたことはありますか。

鷺さん:リスナーのみなさんには、「精査はこちらでするので、身の回りの情報をとにかく寄せてください」とお願いしました。

何も情報が無ければ、必要か不要か、精査のする基準も定まりません。「何かあったら、人からの伝聞を信じる前に、自分のところの情報を伝えてください」と、繰り返し呼びかけ続けることで、リスナーのみなさんとの間に「まず、情報のやりとりから始める」という関係性が生まれました。

 

コミュニティFMとして、街そのものを体現する存在でありたい

――地域に根ざしたコミュニティFMとして、今後FMいわきはどのような展開をしていきたいですか。

鷺さん:私たちは、地域の瓦版を常に目指しています。私たちの放送事業を伸ばしていくことは、この地域の経済が豊かになっていくことと表裏一体なのです。

昨今のコロナ禍もそうですが、様々な困難なことがあったときには、これを地域全体の問題として共有し、行政と二人三脚の強みを活かしながら、解決につながる施策を展開していきたい。地域の企業のみなさまには、私たちFMいわきの放送を活用していただき、ぜひ元気な経済へとつなげていただきたいと思っています。

 

――現在も空間放射線量に関する情報を伝え続けていますが、原子力災害に対する取り組みは、これからも続けていきますか。

 鷺さん:福島第一原子力発電所では廃炉に向けた作業が継続中であり、「原子力災害がまだ終わっていない」という事実を強く感じています。現在も、原発が立地する楢葉町、富岡町などから、多くの方々がいわき市にお住まいです。FMいわきには14の中継局がありますが、うち1局は楢葉町に設けられています。

私たちコミュニティFMは原則として市町村単位の放送ですが、避難をきっかけに、いわき市と縁が深まった方も多く、実質的に生活圏を同じくしていること、「FMいわきを楢葉町でも聴きたい」という声が寄せられたことを踏まえ、市外への中継局設置に踏み切りました。これにより、福島第一原子力発電所の南側にあたる地域一帯を、FM いわきの電波でカバーできるようになりました。

 

――復興事業としての役割も、担い続けているのですね。

鷺さん:「市民コミュニティ放送」と社名に冠しているように、私たちはこの地域のみなさんとともに発展していくことを事業テーマとしています。地域がお互いに力を合わせるための仕組み作りもまた、私たちにとっては根幹をなす事業なのです。

 

――まさに、コミュニティFMとして街そのものを体現する存在ですね。

鷺さん:インターネット配信の開始により、全国どこからでもFMいわきの放送を聴けるようになりました。ひとたびチューニングを合わせれば、いくら物理的に離れた場所からも「いわきを訪れる」ことができ、ふるさとと縁を持ちつづけることができるのです。

働き方改革が進み、県外から再び地元へUターンされる方も増えました。震災をきっかけに、新たな人たちとの交流も生まれています。FMいわきはこうした「新たな街のと関わり方」を推進する場としても、地域に貢献していきたいと思います。

 

【SEA WAVE FMいわき概要】

社名:株式会社いわき市民コミュニティ放送
ステーション名:SEA WAVE FMいわき
周波数:76.2MHz
所在地:〒970-8026 福島県いわき市平字大町 5-1
ホームページ: http://www.fm-iwaki.co.jp/

文 = 天谷窓大

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