2009年12月/第71回 チェット・ベイカーの思い出

 チェット・ベイカーのライヴは何度か聴いたが、いちばん強く印象に残っているのは、ニューヨークでのライヴだ。

 1973年のことだったか、52丁目あたりに再開店した“HALF NOTE“にチェット・ベイカーが出演するというニュースを知り、二日間通って聴いた。ニューヨークのクラブにチェットが出演したのは、長いブランクの後なので、毎日満員の盛況だった。ただ本人は毎回くたびれた茶色の同じジャケットを着ていて、あまりお金のある感じではなかった。クラブの席の前5列目あたりまではほとんどが女性客で、女性にもてるチェットは昔から変わりのないことがわかった。

 チェットはおなじみのスタンダードを歌ったが、初日になんと「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」の歌詞を途中で忘れ、頭をかいて、最初から歌い直したのには驚いた。よほど長期にわたってライヴを行っていなかったのだろうか。それでも晩年に来日して行った日本でのライヴよりは若々しく、精気にも溢れていた。

 この“HALF NOTE“にはジャッキー&ロイなども出演し、いいジャズ・クラブの復活だと喜んでいたら、2年後にはストリップ小屋に変わっていて、がっかりしたのを思い出す。

 ところで、昨年だったか、日本でも発売されたチェット・ベイカーの伝記を読むと、あの美人歌手のルース・ヤングがチェットと出会って二人が恋に落ちたのが、この73年の”HALF NOTE“でのライヴだったことを知った。ルース・ヤングという歌手はちょっとファラ・フォーセット似で、大きな映画会社の社長の養女にもなった金持ちの女性で、チェットには相当貢いだのではないかと思う。

 チェットの晩年に作られたドキュメンタリー・フィルム『レット・ゲット・ロスト』を見ると、ルースがコメントでチェットの悪口を言うシーンも見られるが、二人がデュエットで歌う「枯葉」の短いシーンがとても印象に残った。この二人のデュエットによる「枯葉」はCD「JAZZ CAFE/The Essential Classic Jazz Voices」にも収録されていて、好きで時々取り出して聴いているが、季節も秋になったので、先日ミュージックバードの録音に持っていってかけたところ、なかなか好評だった。

 この頃のチェット・ベイカーとルース・ヤングは仲の良い時期だったのか、呼吸もぴったり合っているし、愛の交換がため息風の歌から伝わってきて、そのなまめかしさが素敵なのだ。

 ルース・ヤングはチェットの死後、愛したチェットに捧げたアルバム「This Is Always」を録音し、チェットの愛唱歌を集めて歌っているが、このCDを聴くかぎり、あまりうまい歌手とはいえない。しかしこのチェットとのデュエットの「枯葉」だけは絶妙の出来なのだ。チェットのささやくような歌とルースのセクシーな声がぴったり合っている。

 チェットのボーカルにはいつ聴いても魅せられるが、かねてから彼のソフトで素朴なささやきに近い歌い方はボサノバに影響を与えているに違いないと思っていた。アントニオ・カルロス・ジョビンの伝記を書いたジョビンの妹の本によると、彼女ははっきりとボサノバの歌唱法はチェットの影響を受けているというのを読んで納得した。

 ところで、僕はチェットとルースの出会いとなった“HALF NOTE“に何日も通いつめながら、二人の決定的な出会いの場面を見逃し、写真も撮らなかったというのはなんとうかつで間抜けだったことだろう。チェット・ベイカー亡き今となってはつくづく残念だと思う。

 渋谷の『パルコ劇場』で聴いた晩年のチェットは少しくたびれてはいたが、やはり彼の個性だけは輝いていた。ロビーで会った女優の木の実ナナさんは「私はトランペットより歌の方が好きなのよ」と言っていたが、彼の歌は確かに一級品だった。

岩浪洋三(いわなみようぞう)
1933年愛媛県松山市生まれ。スイング・ジャーナル編集長を経て、1965年よりジャズ評論家に。
現在尚美学園大学、大学院客員教授。

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