2006年09月/第32回 女性のジャズ

二人の23才が活躍している。共に女性である。
ところで今、ジャズは決定的に女性のものになった感がある。男はからきし元気がない。なぜジャズが女性に適しているのか。女性は男より「大人」だからである。ジャズは「大人の音楽」なのだ。男はいくつになっても子供。だから相変わらずいつも青臭いジャズを演って聴く人をげんなりさせている。いまジャズ界に必要なのは青臭いジャズではない。お尻に青いハンテンのついたベイビー・ジャズではない。小難しいジャズではない。必要なのは大人のジャズ。大人のジャズとは、では、どういうジャズか。先日私はあるジャズの会合に出席した。そこで23才の女性盤をかけたのである。大好評であった。拍手をもって迎い入れられた。


その会合に出席していた大部分の人はこれからジャズを聴いてゆこうという人たちである。「超ジャズ入門講座」という臭いタイトルに引かれて集まった善男善女。ジャズ・ファンの金の卵。


そういう知識ゼロ、ジャズ聴取体験皆無の人たちが二人の23歳を絶賛したのである。ジャズ・ファンではない人たちからほめられるジャズを私は「大人のジャズ」と呼んではばからない。ジャズファンではない人が案外ジャズという音楽を見極めたりする。ジャズの渦中に毎日いると固定観念にはまって意外に本質を見抜きそこなうのである。


何十年もジャズを聴いてきた人の勧めるものなどロクなものはないから気を付け給え。あっ、いけない。こういう言い方は自分の首を絞めてしまうな。


さて23才の一人はソフィー・ミルマンである。ロシア生まれの大学生。声を聞いて45才ではないかと言った人がいた。そのくらい歌が深いのである。人生を感じさせてやまないのである。


と言って、安易にビリー・ホリディーの方向へはゆかない。そこが凄い。歌で相当難しいことをやってのけている。大人の23才。


さて本日のスター。ロシアが歌なら我が日本はトランペットである。市原ひかり、その人である。


この人のトランペットのいいところは一聴、あっ、これならオレにも吹けそうだ、と思わせるところである。


村上春樹や川上弘美の文章がそうなんだ。オレにも書けそうだ。私にできそうだ。でも書けない。


市原ひかりのトランペットは平易で深い。ソフィーミルマン同様、すでに長い人生を過ごしてきたようなミュージシャンである。


思わず「臈長けた」などといういにしえの言葉を思い出してしまった。経験を積み重ねて立派になると辞書に出ている。もう一つの意味として女性が美しくて気品がある。


やぁ、まさに市原ひかりさん、その人のことではないか。少しほめ過ぎかな。いや、新人はほめ過ぎがいいのだ。マイルスやコルトレーンをいつまで絶賛していても仕方がない。低音、つや消し奏法ながら特にマイルスの方向にゆかないのがいい。誰の方向でもない。市原ひかりの方向だ。そのうちもっと市原ひかりらしくなるだろう。ただしオリジナル曲にはちょっと力が入った感じがなきにしもあらず。可愛いが。


すでに萌芽は見えている。きざしが感じられるのだ。歌である。歌。彼女のトランペットのベストの個所は歌なのだ。歌うトランペッター。フレーズが口ずさめるトランペッター。こういう人は今、非常に少ない。しかし、大多数の心あるジャズ・ファンが求めているのがそれ、なのである。きらびやかな派手なうまさはこの次でいいのだ。


需要と供給のバランスの崩れたトランペッター界に現れた貴重な人材だ。そしてさらに上手い下手など関係ない「ジャズの雰囲気」「大人のジャズ」「歌うトランペッター」。この三要素を合わせ持つ、いや、実に鬼に金棒。

寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ

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