コラム「ミュージックバードってオーディオだ!」

<雑誌に書かせてもらえない、ここだけのオーディオ・トピックス>

ミュージックバード出演中の3名のオーディオ評論家が綴るオーディオ的視点コラム! バックナンバー


第83回/現代的な音場感と、ほどよいコシ [鈴木裕]  

 もし鈴木裕のオーディオの師匠は誰かと訊かれたらイケオンのハスミさんと答えるだろう。イケオン、もうなくなってしまった池袋のオーディオショップである。その店の特徴のひとつは金曜の夜と土曜の昼下がりに行われていた試聴会だった。たしか1993年の頭くらいからその試聴会に行くようになり、200回くらいは参加させてもらった。いわゆるその時期の常連だったのだ。そして、1997年頃からオーディオ雑誌に関わるようになり現在につながっている。つまり、自分にとってはオーディオを勉強させてもらった学校のような存在がイケオンであり、担任の先生が蓮見壽(はすみ・ひさし)さんということになる。ちなみに授業料はその時々に購入したオーディオの代金で、いまだに使っているティールCS-7はその時の一台だ。
 オーディオショップにとって、試聴会で対象のオーディオ機器を魅力的に鳴らすことは生命線だ。裕福な方は別として、雑誌で読んだだけではある値段以上のオーディオはそうそう買わないと思う。やはり実際に聴いて感動して、ほんとは予算をオーヴァーしているのに無理しても買ってしまうのがオーディオという気もしている。イケオンで僕がアンプからスピーカーからプレーヤーからケーブルまでいろいろ安くない授業料をお支払いしてきたのは、何回も感動したからだ。その感動する音を出していたのが蓮見さんのテクニックということになる。


 元イケオン、現・寿案店主の蓮見壽氏。
 (左は鈴木裕)

 客観的に書けば、蓮見さんの音というのがやはり基本的に存在していて、現代的な端正な音場感を持ちつつ、若干低音の量を多めにしたバランスの取れた音だった。もちろん試聴会の時々の機材によってその音は変わるわけだが、基本的なバランスというものは鳴らす人の考え方とか感性が反映される割合が大きい。その音にやはり自分は影響を受けている。


 おいしいうどんと天ぷら

 ところで蓮見さん、イケオンでオーディオを鳴らしていた頃から麺好きで、それが高じて関連の本も出版していた。イケオンなきあとその知識や体験を生かして、実は現在うどん屋さんをやっている。もう3年くらい前に開店。最近はフェイスブック仲間でつながっていて、蓮見さんがアップしたものも良く目にするのだが、店が終わったあとのまかないが実においしそうだ。また、店で出すためと称しては、毎日のように違う日本酒を試飲していて、最初はうどん屋さんでも日本酒を出すんだくらいに思っていたが、ある時点からそんなにたくさんの日本酒を出すわけはないとも思ってきた。数が多すぎる。今日も明日も5種類くらいずつ飲んで、それを店に置くような話になっている。試飲にかこつけて単に呑んでいるだけじゃないのか。

 というわけで、うどんを楽しみにしつつ日本酒の嘘を暴くべく、蓮見さんの店、寿庵(ことぶきあん)に行ってきた。

 東北本線の土呂(とろ)駅から歩いて20分程度にある店で、駐車場が広く思っていたよりも大きな店だ。天ぷらやうどんを食べ、日本酒も4種類味わった。
 うどんはコシがありつつも、極端にコシ指向じゃない。その筋のマニアがいいというものを食べるとアルデンテ過ぎると感じたりもするが、ほどよいのである。何とも言えない透明感のある味を持っていて、微妙な甘み、微妙な小麦粉の感じとキメの細かさなど奥の深い食感。もっちりしているのにしつこくない。全体的にとてもバランスがいい。そう、イケオンで鳴らしていた蓮見さんの音のように。


 寿庵の日本酒のリストのごく一部
 (画像をクリックで拡大)

 そして日本酒である。うどん屋さんなのにそんなに種類を置いてあるはずがないという疑いは間違いではなく、150種類くらいは出せるという。多くは冷やしているはずで、そんなに大量の温度管理器具があるのも驚きである。あまり儲かっていないと言っていたが、それは日本酒を揃えすぎではないのか。とうぜんリストには膨大な銘柄が列挙されているのだが、「店主一押」という赤いハンコがあまりに多い。またさらに「溺愛」とか「店主溺愛」というハンコのもあったが、この違いは何なのだろう。単に種類が多いだけでなく貴重というか、限定ものが多いのも特徴だ。小布施ワイン「ドメーヌソガ」の、ワインを作らない3週間だけを使って仕込むという日本酒も、素晴らしくきれいに倍音の伸びた味で実においしかった。高域が華やかである。すっきりしたやつ、という漠然とした注文に対して出してくれたのも吟醸系の淡麗のきわみではなく、いい塩梅にうまみを持っている。ちなみに店内のBGMにはジャズが流れていた。スピーカーはウィルソンオーディオのワット/パピーが置いてあったりすると楽しいのだが、特に凝った様子はない。天上埋め込みである。
 かくしてこんど行く時には日本酒好きの友人たちを連れていって20種類くらいは味わってやろうと決意した次第。

 自分は早稲田中・高等学校の出身で、何かの用事で母校に行っても在籍時の校舎は図書館くらいしかなく、実はぜんぜんなつかしくない。逆に、その横にある「メルシー」というラーメン屋さんに入ると昔と店構えも味も変わらず、たまらない気持ちになる。イケオンの音はもう聴けないが、そのイメージの味が寿庵にあった。

(2015年5月29日更新) 第82回に戻る 第84回に進む

鈴木裕

鈴木裕(すずきゆたか)

1960年東京生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。オーディオ評論家、ライター、ラジオディレクター。ラジオのディレクターとして2000組以上のミュージシャンゲストを迎え、レコーディングディレクターの経験も持つ。2010年7月リットーミュージックより『iPodではじめる快感オーディオ術 CDを超えた再生クォリティを楽しもう』上梓。(連載誌)月刊『レコード芸術』、月刊『ステレオ』音楽之友社、季刊『オーディオ・アクセサリー』、季刊『ネット・オーディオ』音元出版、他。文教大学情報学部広報学科「番組制作Ⅱ」非常勤講師(2011年度前期)。『オートサウンドウェブ』グランプリ選考委員。音元出版銘機賞選考委員、音楽之友社『ステレオ』ベストバイコンポ選考委員、ヨーロピアンサウンド・カーオーディオコンテスト審査員。(2014年5月現在)。

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