2009年11月/第70回 いたずら好きなゲスト

 「PCMジャズ喫茶」はゲストに頼っているところがある。私と岩浪洋三さんだけではお手上げである。長いお付き合いなのでお互い一言発すれば次の展開が分かってしまい、そうなると次に陥るのはいつもの恐るべきマンネリズムで、にっちもさっちもいかなくなってしまう。

 アルトサックスのジャッキー・マクリーンやピアノのバリー・ハリスが紡ぎだすあのマンネリ・フレーズは「あっ、また出た」と言って嬉しく手を叩けるような芸の域に達したもので、これはこれで賞すべきだが、我々二人のフレージングは当然そうはゆかない。

 そこで苦しい時の神頼み、ゲストの登場になるが今回の茂串さんは面白かった。茂串さんはご存知のようにジャズ喫茶「イントロ」他数店の経営者である一方、ジャズの論客、文章家としてもよく知られている。茂串さんは数枚のCDを用意してきた。その中にウィントン・ケリーの、よく我々が『ハシゴのケリー』と呼んでいたリバーサイド盤があった。

 ウィントン・ケリーも、そういえば臆面もなく発する数々のマンネリ・フレーズを芸術の域に昇華した人である。それは別にして茂串さんは「このリバーサイド盤に興味深い別テイクが一曲見つかった」と言った。よくある話であり、だから最近再発のCDはうっかり出来ないのである。

 実はこのCDにはドラム入りとドラムレスの曲が混在している。ドラマーはフィリー・ジョー・ジョーンズである。昔のジャズ・ミュージシャンは概してちゃらんぽらんだから、その性格がうまく演奏に加味された時に名演が生まれるが、この一作もその伝で、名作なのだがちゃらんぽらんの名手フィリー・ジョーが録音スタジオに遅れてきたかどうかして、とにかく何曲かには彼が参加していない。

 茂串さんが言うには、今回発見された別テイクにはフィリー・ジョーが加わっている。しかしどうも聴くところ、若干フィリー・ジョーの匂いが薄い。皆さんの耳のいいところでそこいらあたりを判別してくれ、と言うのである。

 よっしゃ、まかせてくれ!こちとら50年以上もジャズを聴いているんだ。まして私は以前から大のフィリー・ジョー・ファンである。聴いてみると、たしかにフィリー・ジョーにしては納豆が糸を引くような粘りが希薄である。グルーヴ感もいささか後退している。音にも1950年代から60年代の古めかしさがない。しかし最新24ビットの近代的マシーンを通した再発CDの音というのは驚くほど新鮮だ。

 岩浪さんはどうもフィリー・ジョーらしくないと言う。フィリーにしてはあっさりしすぎていると。しかし私はフィリー・ジョーと確信した。フィリーだって元気のない時もあるさ。だからお蔵入りになって今頃現れてきたんだ。

 演奏が終わり、茂串さんが笑い出した。

 「これ、オレなんだよね。オレが叩いているんだよ」

 一計を案じたのである。

 ドラムレスのトラックに自分で叩いたドラムをかぶせたのである。

 これはしくじった。完ぺきに一杯くわされた。なんという口惜しさだ。私は、茂串さんが10年以上もドラムを練習し近頃は玄人はだしの腕前になっているのをすっかり忘れていたのである。

寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ

2009年10月/第69回 新進ピアニスト”ジェラルド・クレイトンの魅力

 最近単独グループやソロ・アーティストのジャズ・コンサートがめっきり少なくなった。ジャズ人口が減ったわけではないだろうが、ジャズの聴き方が変わったのだろう。

1961年正月にジャズ・メッセンジャーズが初来日した時は、東京大手町のサンケイホールで7日間も行われ、マチネーを入れると10公演、いずれも満員の盛況だったことを思い出すと、その変化に驚くばかりだ。最近の日本のジャズ界もアメリカ風になり、ライヴ・ハウスでお酒を飲みながらジャズを聴くというパターンが一般化したといえるのではなかろうか。

 東京を例にとれば、「東京ブルーノート」「コットンクラブ」「ビルボード」といったライヴ・ハウスに毎晩外国からのアーティストが出演しており、カップルやグループで、ジャズやポップス、ソウル、ロックまで楽しむ層がふえてきている。音楽が生活の一部に融け込んできたのであり、それはいいことだと思う。

僕も時々、「東京ブルーノート」「コットンクラブ」に出かけているが、日本のジャズも好きなので、日本のジャズメンや歌手の聴けるジャズ・クラブに出かけることも多い。この前一度、月に何回クラブ通いをしているのかを数えてみたら、平均9回強。かなり通っている方だと自負している。

 ただ、一晩にハシゴができるのはせいぜい2軒が限度なので、いろんなアーティストをまとめて聴くことはできない。だから様々なアーティストをまとめて聴ける様な企画のコンサートはありがたいと思う。先日五反田の「ゆうぽーと」で『100ゴールド・フィンガーズ~ピアノ・プレイハウス・パート2』を聴きにいった。10人のピアニストが技と音楽を競う楽しいコンサートで、新旧10人のピアニストを一度に聴けるというありがたさを味わった。ただ、一人のピアニストが2~3曲なのでわずかな曲数でいかに自分のプレイを頂点にもっていくかが大変だと思うし、聴く方も、プレイヤーによってはもっと聴きたいと思うのに、全員一律で切られてしまうことに不満を 感じることもあるわけで、なかなか聴衆全員を満足させるわけにはいかない。

 今年のピアノ・プレイハウスでは最年長がジュニア・マンス、最年少がジェラルド・クレイトンだった。また成熟の頂点を示したケニー・バロンもいれば、唯一の日本人、山中千尋もいた。

 その中でとくに耳をそばだたせてくれたのが、最年少のジェラルド・クレイトンで、1984年5月11日生まれだから25才という若さ。有名なベーシストのジョン・クレイトンの息子で、サックスのジェフ・クレイトンを叔父に持つという、音楽的には申し分ない環境に育っている。またマンハッタン・スクール・オブ・ミュージックでピアノと作曲を専攻。プレイに力強さとグルーヴ感を持ちつつ、センスがある。音が立っているのもいい。ビル・エバンスやキース・ジャレット、ブラッド・メルドーのような神経質なところがなく、ダイナミックで奔放で遊びの精神に満ちているのがいい。エネルギーにあふれた若者の登場はたのもしい。

 早速彼の新作『トゥ・シェイド』(Emercy)を聴いてみたが期待に違わずいい。ジョー・サンダース(B)、ジャスティン・ブラウン(Ds)のトリオだが、ちょっとロックよりのビートを使った『ブーガ・ブルース』の若者らしいのびのびとしたプレイが面白かったので「PCMジャズ喫茶」に持ち込んだ。寺島氏を含めて悪くいう人はいなかった。あの渡辺貞夫も彼のプレイを気に入っていて新作『イントゥ・トゥモロー』(Victor)で起用している。今みんなが彼のピアノに注目しはじめているが、確かに今後の新しいジャズ・ピアノ界を担っていく一人になりそうだ。

成熟したベテランのプレイも勿論必要だが、昔からジャズ界を活性化してきたのは才能ある若者たちだった。最近来日した女性サックス、クラリネット奏者のアナ・コーエンといい、N.Y.の若者に元気が出てきたようである。

岩浪洋三(いわなみようぞう)
1933年愛媛県松山市生まれ。スイング・ジャーナル編集長を経て、1965年よりジャズ評論家に。
現在尚美学園大学、大学院客員教授。

2009年09月/第68回 ニシオギとJAZZ

 吉祥寺に住んでいるが隣町の西荻窪が好きでよく出掛けてゆく。雑踏の吉祥寺から電車で2分離れるとそこはもう都会の田舎町といった風情でいささかのわびしさがあり、そこが気に入っているのだ。ぶらぶら歩いて古本屋をひやかし、昔からあるダンテの珈琲をのみ、仕上げは丸福の中華ソバとガシッと冷えたビールの中ビン一本という小幸福のパターンをここ10年ほど繰り返している。西荻窪は普通「ニシオギ」と呼ばれていて、そうなると一層わびしさが募ってくるが、そういう西荻窪にこれほどふさわしい店はあるまいというのが「アケタの店」だ。

 もっとも私も人さまのことを言えた義理ではない。私の店「メグ」がライブハウス化して久しいが、その汚さ、わびしさゆえにライブハウスの名をけがしているんじゃないのか。吉祥寺には「サムタイム」や「ストリングス」といったライブの名店舗があり、実にゴメンナサイといった塩梅なのだ。私も小綺麗な店が欲しい。

 「アケタの店」というと有名な伝説がある。ああ、あれかと察した人は読まなくてもいいが、ある人が「アケタの店」を訪れると、お客が3人いた。演奏時間になるとその3人が舞台に上がって結局ラストまでお客はその人だけ。途中帰るに帰れず、苦悶の数時間を過ごしたという話。

 まったく涙を誘う話ではあるが、私の店だってその強力伝聞に負けないぞ。と、威張れた話ではないがミュージシャン5人に客が3人などというシチュエイションがしょっ中だ。さて支払いをどうする。ミュージック・チャージが3人で7,500円。一人の受け取り分1,500円。ベーシストなど駐車場代にもならない。リーダーは本日は持ち出しライヴですなどとアナウンスして笑っているが、いや、店側だって大赤字。売り上げが4,000円に届かず人件費も出ない有様だ。

 まあ、月に何回か席の埋まる日があってそれで首を吊らずに済んでいるが、ライブハウスはいずこも同病相哀れむといった現状なのだ。頼む。せいぜい通ってくれや。

 さて、「アケタの店」が経営発売する『アケタズ・ディスク』からマイク・レズニコフの「タイム・トゥ・スマイル」が近頃の新譜として発表された。マイク・レズニコフのドラムに竹内直のテナーとクラリネット、吉野弘志のベースというピアノレス・トリオだがピアノレス・トリオという形式がどうのという問題ではない。そんなのは目的に対する手段で目的は「ロンサム」「アイ・サレンダー・ディア」「ハート・オブ・マイ・ハート」といった微光というか寂光というか、鈍い光りを放つ珠玉のB級、いや、C級D級曲群のまさに胸に迫り来る『ニシオギ・ジャズ』的うらぶれ感にある。うらぶれてはいるけれど、卑しくない。うらぶれが胸を張っている。そこが賞すべき決定的に大事なところである。私はドンと一発後頭部をはたかれた思いがした。

 『アケタズ・ディスク』のこれまでの作品すべてが好きなわけではない。否、むしろ少なからず異和感があった。しかしこの一作を耳にして私は過去の作品を洗い出してみたくなったのである。そのくらいの静かなハイ・パワー、静かなハイ・テンションを持っていた。概して見かけ倒し、うそっぱちのテンションなどで固めたピカピカのニューヨーク・ジャズやマンハッタン・ジャズ。恐れ入ってこうべを垂れてこれを聴け!

寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ

2009年08月/第67回 ニューオーリンズのパワー

 アメリカの南部ニューオーリンズは特別な都市だ。北東部のニューヨークから南部に行くと景色も一変する。「風と共に去りぬ」などに出てくる南部特有の樹も南部の風景を彩る。ジャズの歴史が進んでも、ニューオーリンズは依然として『ジャズ・シティ』だ。ハリケーン・カトリーナに襲われた後はまだ行っていないが、その少し前に行ったときは、ビアホールで昼間からデキシーランド・ジャズが聴けたし、テーブルには灰皿がごろごろころがっていた。ジャズのライブ・ハウスもいくつかあり、観光名所の『プリザベーション・ホール』はいつも満員の盛況だったし、ジャズ・クラブにはマルサリス兄弟の父親エリス・マルサリスが出演していたし、朝方まで騒がしいサンバ・クラブもあった。ニューオーリンズ・ジャズ博物館は先人たちが使った楽器や貴重な資料がいっぱい展示されていて多いに楽しめた。昼間街を歩けば、あちこちでストリート・ミュージシャンの演奏を楽しむこともできた。黒人の親子の演奏もあれば白人の美女トランぺッターがショート・パンツ姿で演奏していてしばらく見とれていたものだった。とにかく活気とエネルギーを感じさせる街だった。

 こんなニューオーリンズの風景を思い出したのは、最近『アラン・トゥーサン/ザ・ブライト・ミシシッピ』(Non Such)を聴いたからだ。近頃聴いたジャズ・アルバムの中でも、もっとも感銘を受けた一枚だった。早速『PCMジャズ喫茶』に持っていってかけた。曲は「セント・ジェイムス病院」を選んだのだが、口の悪い寺島靖国氏も「これはいい」とほめた。実は僕はこれまでアラン・トゥーサンのことはよく知らなかった。それで、レナード・フェザーが編集した1999年版『ジャズ人名事典』を調べてみたが、彼の名はなかった。かれはソウルやロック、ファンクのアーティストというのだろうか。しかしこの『ザ・ブライト・ミシシッピ』はどう聴いても創造的ですぐれたジャズであり、南部やニューオーリンズ・ジャズのスケールの大きさをみせつけたもので、昨今のひ弱なモダン・ジャズなどを圧倒してしまうものがある。

 アラン・トゥーサンはニューオーリンズの黒人ピアニスト、歌手、作編曲家、プロデューサーである。ハリケーン・カトリーナに襲われた後、一時ニューオーリンズを離れざるを得なくなっていたが、最近はもどり、故郷とニューヨークを行き来して仕事をしているが、先日来日してライヴ・ハウスにも出演した。彼の演奏を聴くと、ニューオーリンズの復活と『ニューオーリンズは死なず』を実感することができる。今回の『ザ・ブライト・ミシシッピ』は黒人霊歌からトラッド、キング・オリバーやジェリーロール・モートン、シドニー・ベシェからジャンゴ・ラインハルト、デューク・エリントン、セロニアス・モンクにいたるまで、まるでジャズの歴史をカバーするような選曲をおこなっており、それをすべて南部やニューオーリンズに集約するような形で演奏し、表現している点に驚嘆し、圧倒される。

 また、集められたドン・バイロン(cl)、ニコラス・ペイトン(tp)、ブラッド・メルドー(p)、ジョシュア・レッドマン(ts)といったモダン派といわれる人たちが、すっかりアラン・トゥーサンの音楽に融け込んでいるのにも驚かされるが、ジャズをスタイルで分類することの無意味さを教えてくれる、皮肉で、批評家精神にあふれたアルバムではなかろうか。

 上記「セント・ジェイムス病院」もいいが、アルバム・タイトルにもなっているセロニアス・モンクの『ブライト・ミシシッピ』がとても面白い。モンクの音楽からユーモアの精神を引き出しているのも正解だが、ドン・バイロンのクラリネットをフィーチャーしてロック・ビートのブラス・バンド風の演奏を展開してみせる独創的なアイデアには感心してしまった。

 また、デューク・エリントンの作品を2曲『デイ・ドリーム』と『ソリチュード』を演奏しているのにも注目した。エリントンはニューオーリンズ出身ではなくワシントンD.C.生まれだが、ぼくは日頃「エリントンの音楽にはジャズのすべてがある」と言っているだけに興味深く聴いた。『ソリチュード』はトゥーサンのグルーヴィーでどこかファンキーなピアノとマーク・リビットのアコースティック・ギターだけで演奏されるが、『エリントンも黒人であり、彼の音楽ルーツのひとつがニューオーリンズにあるといえるのではないか』と主張しているようにも聴こえてきて感心した。

岩浪洋三(いわなみようぞう)
1933年愛媛県松山市生まれ。スイング・ジャーナル編集長を経て、1965年よりジャズ評論家に。
現在尚美学園大学、大学院客員教授。

2009年07月/第66回 長澤祥という人

 220歳トリオの一角が崩れた。長澤祥さんが「PCMジャズ喫茶」をおやめになったのである。

 長澤さんは以前から隠遁生活に憧れていた。家に閉じこもり、気が向けば(ほとんど毎日気が向いていたのだが)昼間から酒を飲み、電気を暗くしてジャズを低く聴く長澤さんだからすでに充分隠遁生活者なのだが口を開けば「田舎に行きたい」を繰り返していた。しばらく前にも何ヶ月か奈良のほうの山奥に籠り、とても商品になりそうにない(失礼!)丸いエントツのような形をしたスピーカーを設計、製作に励んでいた。隠遁のきざしはすでにしてあったのである。

 しかし今回はどうも本物のようだ。決心は固い。74才。決断の歳かもしれない。

 実は私は長澤さんのジャズの聴き方に敬意を払っていた。ご自分の『聴き方』を持っている。そのことを大したものだと思っていた。しかもそれがいささかもぶれない。聴き方が大地に根を張って微動だにしないのだ。私など今だにふらっとくることがあり、いい歳をして不甲斐ないなと思ったりしているのにである。

 長澤さんのジャズの聴き方は徹底した自分主義である。この方くらい気分よく個人主義を楽しんでいる人はいない。人の言に左右されない。一部のジャズ・ファンのように観念的にジャズを聴くことをしない。頭の中でジャズを鳴らすのではなく、あたかも手を延ばして音楽に触れるような聴き方だ。触ってみてうまく自分に反応しなければ蹴っ飛ばす潔さを持つ。だから長澤さんは音楽に聴かされない。常に自分が上位にいる。ジャズ・ファンでこういう人は案外少ない。幾山も越えた人が出来ることである。

 長澤さんはまた、音でジャズを聴く人である。音楽と音を同時に両方楽しんでしまうのであるから得な人である。普通の人は片方しか聴かないから損をしているのである。ベースが特に好きで、ベースの音はとにかく弦の感じがはっきり出た「ブルン」という音が聴こえないと承知しない。そのことを放送で何百回繰り返したことだろう。耳にタコが出来て、今では私のまわりにベースはブルンでなければ駄目な人が何人もいる。

 こういう美しく格好よく偏った聴き方を麗々しく説く評論家はいない。バランスという言葉しか発しないのが本邦のオーディオ評論家である。音がどこかで一カ所突起して面白くなるのがジャズという音楽なのである。ベースとかシンバルとか。もっと長澤さんのような音楽と音の両方をよく分かった人を日本のオーディオ界は活用しなければ駄目だ。

 とまあ、ずいぶん長澤さんを持ち上げてしまったが、長澤さんが一風変わった人であるのは間違いなく皆さんご承知の通りである。約束しても来なかったり、約束してないのに来たり、今では我々はぜんぜん彼の奇行に驚かない。田舎に雲隠れしてもすぐに戻ってきてもまったく不思議はないのであり、その時は大歓迎である。

 一応、田舎でのんびりラテン・ピアノでも聴いてもらおうと思って写真のCDを捧げてみたが無駄になるのを祈っている。

寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ

2009年06月/第65回 ビッグ・バンドの楽しさ

 日本人はジャズではピアノ・トリオが好きなようだが僕はビッグ・バンドが大好きだ。アレンジメント、アンサンブル、ソロと楽しみが多いからでもある。日本でも最近、守屋純子、野口久和、三木俊雄がときどきビッグ・バンドの演奏を聴かせてくれるし、レギュラーのビッグ・バンドもいくつかあるが、シャープス&フラッツが今年で姿を消し、ニューハードなくなったのは淋しい。そして、日本のビッグ・バンドも少し行儀がよすぎる気がする。

 かつてトランぺッターの大野俊三は、ギル・エバンスのビッグ・バンドにいて、毎週月曜日に”ヴィレッジ・ヴァンガード”や”スィート・ベイジル”に出演していたのを聞いたことがあるが、ギルは彼にいつも、譜面どおり吹かなくてもいい、自分が飛び出したいと思ったらそこでソロを取れ、と言っていたそうである。ギルのバンドのエキサ イティングな演奏は、そういったバンドのあり方から生まれたのだと思う。

また黒人のクリフォード・ジョーダンのビッグ・バンドを何度かニューヨークで聴いたが、昔のハーレム・バンド風で楽しかった。セカンド・ステージが始まっても、何人かのミュージシャンが外出したまま戻っておらず、歯抜けなのだがリーダーは平然と演奏をはじめ、抜けていたメンバーもそのうち一人、二人と戻ってくるのだが、悪びれずに演奏をはじめ、リーダーもとがめないのだ。そののんびりとした風景にぼくは、これがジャズというものなんだ、と感じた。

 僕はニューヨーク在住のピアニスト・なら春子と一緒に聴きにいっていたのだが、リーダーのジョーダンは、よく知っている彼女を客席に見つけるとステージに呼び上げ、あまり編曲のいらないブルースを一緒に演奏した。また別の日にはサックスのジョージ・ブレイスやトランペットのデイジー・リースが遊びに来たのだが、すぐにステージに呼び上げ一緒に演奏した。たとえビッグ・バンドでもこれが本当のジャズのあり方なのだ。日本のビッグ・バンドもこのようなルーズさを取り入れて欲しいものだ。

 ところで西海岸にいくと、ウエスト・コーストならではの面白さがある。ハリウッドは映画の都なのでスタジオ・ミュージシャンが多く、ビッグ・バンドもたくさんあるが、故ベイリー・ジェラルド・ウィルソン、フランク・キャップらのビッグ・バンドをよく聴きに行ったが、どのバンドにも何人か同じミュージシャンが座って演奏しているのを見かけた。バリトン・サックスの座には複数のバンドでジャック・ニミッツを見かけた。彼は西海岸一のビッグ・バンド・バリトン奏者なので引く手あまたなのだろう。一時西海岸にいた秋吉敏子の話だと、西海岸ではアレンジャーやビッグ・バンド・リーダーには自ずとランクがあり、先に契約していても、ランクナンバ-1のクィンシー・ジョーンズから声がかかると、メンバーをクィンシーに取られてしまうケースがあるのだとか。ジャック・ニミッツは、ウディ・ハーマン、スタン・ケントン、ジェラルド・ウイルソン、ビル・ベリー、ルイ・ベルソン、ドン・メンザなどの有名ビッグ・バンドを渡り歩いてきた名手であり、スーパー・サックスでも演奏した。

 その彼の珍しいコンボ演奏の『コンファメーション』(フレッシュ・サウンド)を中古CDの箱で見つけたので、すぐに買って早速『PCMジャズ喫茶』で紹介したら幸い好評だった。「センチになって」や「ハロー・ヤング・ラバーズ」といったスタンダードのほか、スーパー・サックスやチャーリー・パーカーのアドリブを軽々と吹いてみせてびっくりさせた「コンファメーション」や「ブルー・モンク」「ブルー・ボッサ」といったジャズ曲も演奏している。西海岸では、ビッグ・バンドで演奏した後の彼に何度も会ったが、いつも笑顔をたやさない礼儀正しい紳士という印象を受けた。

 なお、上記のアルバムは、ルー・レヴィ(P)、ジョー・ラバーバラ(Ds)らと共演したカルテット、95年、彼が65歳の時の演奏である。

岩浪洋三(いわなみようぞう)
1933年愛媛県松山市生まれ。スイング・ジャーナル編集長を経て、1965年よりジャズ評論家に。
現在尚美学園大学、大学院客員教授。

2009年05月/第64回 遠くて近いジャズとオーディオの仲間

 私の部屋には地方からもジャズファンが時々やってきます。

岐阜の20代の女性・Kさんが突然やって来ました。「PCMジャズ喫茶」を聴いているうちに好奇心が湧いてきたというのです。寺島さんや岩浪さんは恐れ多いので流石に訪問は出来ないという言い訳でした。放送で声だけ聴いているうちに我々がどんな風体なのか検証したいということで、新幹線でやって来たのです。
2時間ほどオーディオルームでジャズを聴いていましたが、無口な彼女からの会話は無く、私からの質問ばかりでした。彼女はハイとかイイエとか答えるばかりで、家出の女性と会話しているような雰囲気がしばらく続いたのを憶えています。
名古屋市内のジャズ喫茶には時々通っているという話が糸口でした。ジャズと読書が余暇の楽しみですという彼女は、小柄ながら凛とした顔立ちで、次第にジャズの好き嫌いを話し出しました。帰る途中ジャズカフェ「メグ」に寄りたいというので地図を書いて別れました。その数か月後に彼女から宅配便で柿が届きました。

 九十九里浜の近くに住む初老のオーディオファンMさんが2時間かけて車で遊びに来たことがあります。はがきで連絡があり約束をしていました。10数枚のCDとお土産などを袋にどっさり詰めて汗をかきかき部屋に入ってくるなり、私の装置をこまごまと尋ね始めて立ちつくしています。それからオーディオ人生を延々と話し始めたのです。自慢話ではなく苦労話です。ストーリーの多くはスピーカーシステムやアンプの自作と音にこだわったジャズアルバムのコレクションであったと思う。収入の大半を道楽に費やしてカミさんと喧嘩が絶えないという話にもなりました。
オーディオ自慢で有名な方の自宅を数件訪問したという話になり、本当か嘘かも定かでありません。訪問した先々で必ず試聴したというCDがこれですと言う。ディブ・ブルーベック・カルテットの「GONE WITH THEWIND」(Sony Records SRCS9362)、1959年ロス録音です。確かに音は素晴らしい。特にポール・デスモンドのアルトサックスの音色には聴き惚れてしまいます。私が気に入った様子をみたのかCDをしばらく預けるので、後で返して欲しいということになりました。それならと私も好意を受けて借りることになったのです。このアルバムを何十回聴いただろう。今も手許に残っています。というのは約束通りCDを返送したのですが、受取人不明で戻ってきてしまいました。

ディブ・ブルーベックを初めて聴いたのは昭和28年高校生の頃で深夜VOA(Voice Of America)放送でした。当時短波放送で野球の中継を聴いていましたがVOAを受信してジャズを聴くことも出来たのです。マイルスのレコードも連夜流れていました。その後、日本でもブルーベックのシングル盤が発売となり直ちに買ったのを憶えています。「ブルーベックのピアノはスィングしない」などとジャズ雑誌で書かれていましたが、ポール・デスモンドのアルトサックスを聴いているだけで満足です。ピアノはおまけで聴いていたように思います。

アルトサックス吹きを3人挙げろと言われれば文句なしにアート・ペッパー、バド・シャンクとポール・デスモンドではないでしょうか。ピアノトリオは飽きたのでワンホーン・カルテットを聴こうという掛声が出ていますが、残念ながら現役プレーヤーでこれら3人を超える者はおりません。テナーサックスを含めて今は管楽器プレーヤーにスター不在の時代となってしまったのです。

話は脱線しますが女性はアルトサックスを好み、男性はテナーサックスに惚れるというのは本当でしょうか。
 
アルバム「風と共に去りぬ」はアメリカの民謡ばかり集めた構成で「スワニー・リヴァー」「ロンサム・ロード」「草競馬」「ベィズン・ストリート・ブルース」「オール・マン・リヴァー」と「ゴーン・ウィズ・ザ ・ウインド」など9曲が収録されています。ほかメンバーはジーン・ライト(b)ジョー・モレロ(dms)でピアノやアルトサックスに負けないくらい鮮やかな音の輪郭で鳴るのです。ブルーベック数多いアルバムの中でこれは最高傑作です。新素材をベースにした再発CDが各社からリリースされていますがこれはぜひ新技術で復刻して欲しい1枚です。

長澤 祥(ながさわ しょう)
1936年生まれ。オーデイオメーカー数社を経て、日本オーデイオ協会事務局長を15年務める。

2009年04月/第63回 お酒とマイナー・レーベル

 今は夜中の2時半だが重い腰を上げてこの文章を書きはじめた。
文章を書くにはある種の度胸が要る。自分をいつもより強くもっていかなくしてはいけない。亡くなったジャズ・ファンの鍵谷幸信さんは「物を書く人間は自分を天才と思わなければ、いいものは書けないよ」と言ったがそれは無理だ。天才と思うには余りにも自分を知りすぎている。


 それで酒に頼ることになる。うまい具合に最近ウィスキーのお湯割りに凝っている。「ウィスキーはロックだろう。氷がグラスの中でカキンと音を立てる。そいつを聞きながら一杯やるのが粋なんだよ。」そう言われても当方、もう格好つける歳でもない。年寄りにはじわりと体があたたまるお湯割りが一番だ。熱湯をそそいだ時の鼻をつく強いウィスキーの香り。これはちょっとしたものである。ニュー・センセーションである。新しい恋の芽ばえである。やがて時間が経つとお湯がさめてくる。すると香りがだらしなくなってくる。恋の終わりである。


 それはどうでもいいが、書けないとつい頻繁にグラスに手が延びる。当然酔っぱらってくる。すると本当に書けなくなってしまう。酔っぱらっているような、いないようなその微妙な中間地点の維持がむずかしい。なぜ今回酒の話から始めたかというと、ガッツ・プロダクションの笠井青年。この人が無類の酒好きなのだ。この人もけっこう中間地点の維持がむずかしい。大抵いつもセイフティ・ポイントを突破して宇宙の彼方で彷徨することになる。酒を飲んで地球にとどまっていても仕方ないだろうという広大な精神が天晴れである。愛すべきジャズ一筋の好青年。このCDがよく売れない時代に、ガッツ・プロのCDは出足がいい。迅速とはいかぬまでも快速である。


そういえばもう一社、俊足テンポを保持しているマイナー・レーベルがある。澤野商会である。この会社とガッツ・プロを比較するとその好業績の秘密が見えてくる仕掛けになっている。


 澤野商会はジャズをとことん骨のズイまでわかった上で、あのような聴きやすい、しかし充分マニアの鑑賞に堪える新譜名盤を出してくる。ビギナー向けにしてマニア向けという絶好の境地。 一方のガッツ・プロはジャズの詳細には不案内だけれど「自分の耳に気持ちよく響いたもの」を主に選んで発売している。ジャズの知識背景にこり固まったマニアックな耳ではない。普通の好センスの耳。そういう耳が世に問うCDだからこそ誰が聴いても平易で楽しく心に残る。


 特に昨今の輸入CDは気張ったものが多い。ピアノ・トリオにしろ『俺トリオ』みたいにいきがった作品が多く、買って失敗し蹴飛ばしたくなるが、澤野商会とガッツ・プロダクションなら安心というものだ。両社にはマイナー・レーベルの雄として末永く頑張って欲しいものである。


 ウィスキーのお湯割りのせいで例の『微妙な中間地点』をこえてしまったようなのでこの辺で失礼。


 ■ガッツ・プロダクション http://www.gatspro.com/
 ■澤野工房  http://www.jazz-sawano.com/

寺島靖国(てらしまやすくに)
1938年東京生まれ。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー。
ジャズ喫茶「MEG」ホームページ

2009年03月/第62回 コンボの出現はジャズを活性化するか?

ジャズのCDは毎年沢山発売されているのに、最近は何か核になる演奏がないなあ、と感じていた。ところが、昨年末あたりから少し様子が変わってきたように思える。

そのきっかけになったのが、イタリアのグループ、「ハイ・ファイヴ」の登場で、その第一作「ファイヴ・フォー・ファン」(EMI)を聴いたとき、心のどこかで、待っていた演奏はこれだ、と確信した。リーダー格のトランぺッター、ファブリッツィオ・ボッソの輝かしいプレイもさることながら、クィンテットの力感あふれるプレイにも圧倒された。シダー・ウォルトンやジョー・ヘンダーソンら60年代の新主流派の曲も取り上げているので、全体的にはニュー・ハード・バップと呼びたい演奏なのだが、アドリブはどこまでもメロディックで、ドラミングが昔の演奏と違って多彩なので新鮮に感じるのだろう。ボッソは昨年の「銀座ジャズ祭」にはラテン・バンドをひきいて来日したがこちらもエキサイティングで悪くなかった。

これらの演奏を聴いているうちに、やっぱり最近はイタリアやヨーロッパのジャズの方がアメリカよりも元気がいいのかなあ、と思ったものだった。

ところが、ニューヨークのジャズも黙ってはいなかった。「ブルーノート・セブン/セレブレーション」(Bluenote)がそれで、これはハイ・ファイヴに充分対抗できる演奏だった。N.Y.の精鋭で結成されたグループで、ニコラス・ペイトン(tp)、ラヴィ・コルトレーン(ts)、スティーヴ・ウィルソン(as,fl)、ピーター・バーンスタイン(g)、ビル・チャーラップ(p)、ルイス・ナッシュ(ds)、ピーター・ワシントン(b)という7人編成。これは最強の顔ぶれだ。悪かろうはずがなく、しかもイタリアの連中と同じように、ジョー・ヘンダーソン、ハービー・ハンコックら新主流派らによる曲を取り上げているのだ。まるで申し合わせたように。したがって演奏もニュー・ハード・バップ的なのだ。海をへだてた国で同じようなフレッシュ・サウンドが生まれ、これは面白いことになりそうだが、共にレギュラー・グループ化するというのが嬉しい。ブルーノート・セブンはなんでも今年全米45ケ所のツアーを行うという。

とにかく、ジャズの活性化はレギュラー・グループの出現によって行われるだろうというのが僕の見方である。思い返せば1950年代から60年代の中頃にかけては、モダン・ジャズの黄金時代と呼ばれたが、この時期には、実に沢山のレギュラー・コンボが活躍していた。枚挙するときりがないほどだが、マイルス・デイビス・クィンテットを筆頭に、ジャズ・メッセンジャーズ、ホレス・シルバー・クィンテット、ローチ・ブラウン・クィンテット、キャノンボール・アダレイ・クィンテット、ジョン・コルトレーン・カルテット、ジャズテットなどが人気を競い、ジャズ・シーンを活気あるものにしていたと思う。

レギュラー・グループの魅力と良さは、トータルな表現や主張が長く一貫して行える点にあると言えるだろう。それが、一回だけのセッションだとなかなかそうはいかないし、一過性で終わってしまうことが多いと思う。レギュラー・グループを待望してきたのはそのためだが、まだハイ・ファイヴとブルーノート・セブンの2つだけでは満足できない。そう思っていたところへ、こんどはアメリカ西海岸のコンコード・レコードから「ベニー・ゴルソン/ニュー・ジャズテット」が発売された。あの懐かしい三本管編成によるジャズテットの再編である。しかし、昔のままのグループ再結成ではノスタルジーだけで終わってしまう。しかし今回のニュー・ジャズテットは、リーダーと作、編曲こそ大ベテラン・テナー、ベニー・ゴルソンだが、メンバーの顔ぶれはがらりと変わっているし、ゴルソン自身のテナーがこれまでのプレイと違って、サウンドも吹き方も少し新しくなろうと務めており、変身しているのがいい。メンバーはエディ・ヘンダーソン(tp)、スティーヴ・デイビス(tb)、マイク・ルドン(p)、バスター・ウィリアムス(b)、カール・アレン(ds)で、ベテランもいるが、旧ジャズテットよりもガッツがあり、感覚的にも新しい。感心したので早速グルーヴィーでファンキーな「グローヴス・グルーヴ」をPCMジャズ喫茶でかけた。すると、日頃口の悪い寺島靖国、長澤祥の両氏も気に入ったようで文句は出なかった。まだこのグループの行く末はわからないが、僕はぜひレギュラー・グループ化し、ジャズ活性化の一翼を担って欲しいと願っている。

岩浪洋三(いわなみようぞう)
1933年愛媛県松山市生まれ。スイング・ジャーナル編集長を経て、1965年よりジャズ評論家に。
現在尚美学園大学、大学院客員教授。

2009年02月/第61回 So What(だからどうなの?)

 新譜CDの数を越えて名盤の復刻盤が続々と発売になっています。単なる復刻ではなく最新の製盤技術が駆使されたという宣伝文句がジャズとオーデイオ・ファンの心を刺激するのは当然でしょう。24ビットといった従来の電気的改善も行きわたった現在レコード各社が注目しているのは製盤の素材です。ガラス盤の導入などの実例もありました。従来から使用されてきたポリカーボネィトを更に改良した素材の応用と製造工程のノイズ低減です。すでに新素材によるHQCDやSHMCDも発売となっています。

 そこで「PCMジャズ喫茶」の録音スタジオで音質の比較試聴を行いました。先入観を排除したブラインドテストです。2枚のCDを聴き終わってからどちらが新旧かの意見も述べました。リスナーの皆さんにも放送で判定してもらう企画です。音の良し悪し以外に好き嫌いもあるので判定が間違ったとしてもいいのです。

 ソニーミュージックからも「Blu-spec CD」の発表があり、六本木のスタジオで聴くことが出来ました。その特徴は資料と解説によれば「正確なピット成型によりジッターの発生を極限まで排除したマスターテープクオリティCD誕生」とありました。具体的には「ブルーレザー・ダイオードを使ったカッティングによる極微細加工と空冷フアンによる振動を除去した製盤行程」さらに「新開発の素材である高分子ポリカーボネィトの採用」です。

 数人ずつ6回に分けて試聴会が行われるというので、指定された時間に合わせて六本木駅にたどりつくと、ジャズオーデイオ評論家のKさんとばったり会いました。何年間かジャズ専門誌「スイング・ジャーナル」で録音評を担当してきた間柄です。

 ソニーのスタジオでは試聴の音源としてクラシックやポップスをはじめとした、各音楽ジャンルの曲が紹介されました。ジャズはマイルスのヒットアルバム「Kind of Blue」から、『So What』を従来盤とブルースペック盤との聴き比べです。楽器の輪郭はより鮮やかになり、全体的にノイズ感が無くなったのは確かです。ジャズファンのKさんと私もそこは納得したのです。『So What』はアナログLPや最初のCDで、音は耳の奥まで記憶されていました。

問題はここからです。比較試聴の結果を例えれば、薄ものを着ていた美人が素裸になって現われたような印象です。もしマイルスが再再発の復刻CDを聴いたら、口癖の『So What』と云うかもしれません。

 吉祥寺のジャズカフェ「メグ」でビールを飲みながらこの話を聞いていたS君は、「CDが再発されるたびに買ってしまうから、同じアルバムが何枚も溜まってしまう。だから古いのは友達にあげることにしています。」と云うのです。再発CDは誰が買うのだろうと疑問を持っていた私への回答にもなっていました。

 ジャズレコードをそのまま聴かないで自分の好みの音に再調整して聴くのがジャズオーデイオの極意ではないかと思っている私には、オリジナル音源再生への願望はありません。オーデイオ純粋主義者からみれば異端児なのです。

 にもかかわらずアナログLPを探してレコード中古店をうろついているには理由があります。アナログLPでしか味わえないジャケットの存在感(大きさや色など)という誘惑には負けてしまうのです。レコードを買うというよりは、絵画を買うという感覚かもしれません。

 そのS君がなんとイラストで描かれたオリジナル・ジャケットだけを集めた写真集を出すというので、原稿を見せてもらう機会がありました。仲間うちで囁かれている幻の名盤も数多く入っています。出版されれば直ちに購入すると約束したのでした。

長澤 祥(ながさわ しょう)
1936年生まれ。オーデイオメーカー数社を経て、日本オーデイオ協会事務局長を15年務める。