THE JAZZ【Premium】
Jazz In Applause
再放送=(土)13:00~14:00
ジャズが歴史上ただ一度ポピュラー・ミュージックのトップ・ランナーの位置に立った「Swing Age」と呼ばれた時代(1930年~1945年)。「Jazz In Applause」(ジャズ・イン・アプロウズ=歓呼のジャズ)は、そんな時代を彷彿とさせるゴージャスな時間をお届します。
2月/大いなるジャズの軌跡
番組も残すところあと4回。2月は私(小針)が考えるジャズに特に影響を与えたであろう4人―マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、フランク・シナトラ、そしてデューク・エリントンを振り返ってみたい。
マイルス・デイヴィスが1969年に発表したアルバム「Bitches Brew」は当時最先端を走っていた彼自身にとっても意欲作あった。そこには常日頃からサッチモやエリントンを尊敬し、彼らの流れを汲むジャズメンとして69年時点で成せる「アフリカン・アメリカンとしての最先端音楽」を追求してきた結果が表れている。(2日)
ジョン・コルトレーンで取り上げるのは2023年に再発見&発売された「Evenings At The Village Gate」。1961年にヴィレッジ・ゲートのライブを音響テスト用に録音された音源がニューヨーク公共図書館に保管されていたものが発見されたものである。この当時のコルトレーンは「憑依した」後期のものとくらべても聴きやすい方であるが、それでも前回のマイルスを同じように「アフリカ的な」表現をしたいという意志の強さがある。共演しているエリック・ドルフィーらにも意思が伝わっており、ジャズが持つ歴史と民族性が「原動力」として各奏者の中に脈動し続けていることを教えてくれる。(9日)
フランク・シナトラは16年続いた番組の中で2年分取り上げており、思い入れも深いがその中でも印象深い出来事は二つ。一つは日比谷の野外音楽堂での来日コンサート。もう一つは1998年5月に亡くなったときに追悼生特集をMBで放送したときのこと。前者は青春期に表れた「スーパースター」という存在の大きさに、後者は特番でも語りつくせないほど偉大な軌跡に、である。取り上げるアルバムは1966年のライブ版「Sinatra at The Sands」。この当時のシナトラは50代を迎えてまさに「ザ・ヴォイス」の二つ名にふさわしい活躍を見せている。これを聴くと番組タイトルの和訳「喝采を浴びるジャズ」を忠実に体現できる人は今後何人出てくるのか、と思うときがある。(16日)
最終回にふさわしいのは誰かを考えた時、現代に続くジャズへの貢献度という意味でもデューク・エリントンを外すわけにはいかない。個人的にもシナトラ、エリントンを生で聴いて以来、ジャズ人生が決定づけられた奏者である。取り上げる1963年「The Great Paris Cocert」ではエリントンの優美さとライブでの荒々しさが両立した作品である。これは1923年以来エリントン自身がバンドを解散していないことと、長きにわたって支えてきたメンバー(ジョニー・ホッジスなど)がいたこともあり、いくら譜面を用意しても決して真似できないサウンドを守ってきたことの証明でもある。個としてもバンドとしても唯一無二を守り続けられた奏者は誰か考えた時に「エリントンだな」と至っても何ら不思議なことではないのである。(23日)
ここまでの約16年間数多くのジャズ奏者を取り上げてきたが、いずれもジャズ史に足跡を残した「喝采を浴びる」にふさわしき巨人たちである。これだけの歳月をかけてなおその軌跡の全容を表しているわけではないが、言い換えればそれだけ巨大な世界観があることこそがジャズの醍醐味なのだ。また何かの機会があれば再びお会いできることを楽しみにしたい。
※オンエア曲リストは放送後2週間を経過すると削除されます。ご了承ください。
★「Jazz In Applause」は2月23日(再=24日)の放送をもって終了となります。これまでご愛聴いただきありがとうございました。
新年最初の放送では「The Greatest Jazz Concert In The World」とMPSに残したソロアルバム「My Favorite Instrument」を取り上げる。豪華メンバーに注目しがちだが「A列車」ではこれまでとは異なるイントロを採用しエリントン自ら殻を破っていく。演奏スタンスもエリントンの低域を重んじるスタンスと高音域を自在に操るピーターソンと異なる。技巧的に見ればピーターソンが上であるが、エリントンの低高のメリハリのあるハーモニーは後世の奏者に取り入れられており、当然ピーターソン自身も学ぶものは多かったと思われる。(5日)
5日放送分からまたがってお届けしている「My Favorite Instrument」は彼自身がピアノソロとしての限界に挑戦している。楽器の特性上一人で出来る一方で単調になりがちな部分を作品ごとに引き分けきっているのは彼自身の創意工夫に加え、アート・テイタムの影響も大きいという。後半で取り上げる「Count Basie encounts Oscar Peterson Satch and Josh」ではカウント・ベイシーと共演している。大先輩たるベイシーに敬意を払いつつピーターソンが「音数を少なく」弾きながらも見事に魅せるのはベイシーとフレディ・グリーン(ギター)とのメロディーがいかに重要かを把握しているからともいえよう。(12日)
変わった録音としては、ギタリストのジョー・ベスと共演した「ポーギーとベス」。ここでのピーターソンはピアノではなくクラヴィコードを弾いている。ディレクションしたノーマン・グランツの考えでは大作を前にしたピーターソンがピアノで弾けば「気合が入りすぎてしまう」と考えていたようで、あえて2人のみで演奏させたという。その効果は覿面で音楽性に目が向きがちな「ポーギーとベス」のもつ「普遍性」や「人間の本質」が描き出されている。それこそ「語りかける」ようなサウンドを作り上げたピーターソンとベスのみに成しえた世界である。(19日)
オスカー・ピーターソン特集ラストで取り上げるのは1999年に発表された「Live At The Blue Note」。ミルト・ジャクソン、カリエン・リギンス(ドラム)を伴ってブルー・ノートのステージに立ったピーターソンとレイ・ブラウン。齢70を超え、久しぶりの組み合わせでブルー・ノートに降り立った彼らの音楽には「俺たちも仲間であの時代のジャズが出来る」という余裕が感じられる。全盛期と比べれば技巧的な限界はあるものの、力みのない円熟した表現は決して若手にはできない「歴史」の裏打ちがあるのだ。(26日)
※オンエア曲リストは放送後2週間を経過すると削除されます。ご了承ください。
オスカー・ピーターソンがカナダ生まれであることは周知の事実であるが、アメリカ国籍を取得することをせずに活躍していた。それはひとえにカナディアンとしてのプライドもあるだろうが、カナダでの黒人の歴史を背負った「音楽家」としての意地があったという。それはオリジナル曲「自由への賛歌」によく表れている。(1日)
「We Get Requests」を発表した前後に大きな節目を迎える。これまでノーマン・グランツやその後継のジム・デイビスの時代と併せて20年近くVerveで活躍してきたが、このアルバムを最後にVerveを去ることになる。アルバム内の「Goodbye J.D」ではオスカー・ピーターソンのVerveへの惜別の思いが込められてもいる。(8日)
Verveを去ったオスカー・ピーターソンはドイツのレーベル「MPS」と契約する。それはエンジニア兼オーナーであったハンス・ゲオルグ・ブルナー=シュワーが録る音、特にピアノの録音やスタジオ環境が琴線に触れたことが大きかった。「I'm in the Mood For Love」ではブルナー=シュワーのもとで思う存分挑戦することができ、満足したオスカーの心情、あるいは成果を知ることができる。(15日)
22日は一度歴史から離れてオスカー・ピーターソンのクリスマス曲集をお届けする。イエス・キリストが持つ「愛」とキリスト教の持つ「寛容」の世界観を、聖書や数多くの讃美歌をはじめとするスタンダードソングを解説しながら考察していく。とはいえ堅くならずに洒落っ気のあるピアノと彼の六重奏とともに楽しんでいただければ幸いだ。(22日)
年内最後の放送では再びオスカー・ピーターソンの歴史解説に戻る。すでにVerveを離れていたノーマン・グランツは自身のレーベル「Pablo」を立ち上げており、デューク・エリントンやエラ・フィッツジェラルドという錚々たる面子とともにオスカー・ピーターソンも中核に据えられた。「The Greatest Jazz Concert In The World」はさながらJ.A.T.Pの再来ともいえるが、それほどにVerveを離れてなおグランツとピーターソンの縁が切れず、むしろ強くなっていることを実感させられる。(29日)
1日の曲目 8日の曲目 15日の曲目 22日の曲目 29日の曲目
※オンエア曲リストは放送後2週間を経過すると削除されます。ご了承ください。